深谷市への移築
誠之堂と清風亭は、ともに東京都世田谷区瀬田にあった、第一銀行(第一勧業銀行を経て、現在はみずほ銀行)の保養・スポーツ施設「清和園」の敷地内に建てられていたものを現在地に移築復元したものです。
清和園当時
清和園当時は、あまり公開されることのなかった建築物でしたが、建築史研究者や建築関係者の間では、いずれも日本近代建築史上、大正時代を代表する建築物として高い評価を受けていました。
当初は銀行関係者のための集会施設として長い期間利用されていたと考えられています。
そして、昭和46年、清和園の敷地の過半は、聖マリア学園(セント・メリーズ・インターナショナル・スクール)に売却され、昭和50年代には、誠之堂は外国人教師の校宅、清風亭は集会所として借し出されていました。

昭和29年の清和園40周年記念碑
深谷市への移築に至る経緯
深谷市に誠之堂と清風亭に関する突然の連絡があったのは、平成9年9月30日でした。両建物の保存運動を進めていた建築の研究者から、電話による悲鳴とも思えるような打診が、市教育委員会に寄せられたのです。その内容は、渋沢栄一翁の喜寿を記念して建てられた、世田谷区にある誠之堂という貴重な建物が、隣接する清風亭とともに今にも壊されようとしているが、渋沢翁生誕地の深谷市で緊急に引き取ることはできないか、というものでした。
誠之堂と清風亭は、一般には公開されていなかったため、関係者以外にはあまり知られていませんでした。そこで市教育委員会は、大至急両建物に関するデータを集め、この2棟の建物が、近代日本を代表する建物として、高く評価されていることを確認しました。
市教育委員会は翌10月1日早々に市長に報告、市長は誠之堂が渋沢翁に直接関わる数少ない建物であることを重視し、その日のうちに世田谷区に急行して現地の状況を視察しました。
2棟の建物は、たいへん保存状態も良く、風格あるすばらしい姿をしていましたが、既に解体工事用のネットに覆われ、5日後には取り壊しを開始するという、まさに切羽詰まった事態となっていることが明らかになりました。
渋沢栄一翁の顕彰を推進している深谷市としては、現在まで残されている渋沢翁ゆかりの数少ない建物、誠之堂と清風亭が取り壊されてしまうのを、このまま見過ごすことはできませんでした。そこで、保存のための最後の手段として、深谷市への移築が大至急検討されることになりました。
この情報に接した市議会議員や教育委員などの深谷市の有識者の皆さんにも、両建物の移築はたいへん重要な課題であると受け止められました。こうした渋沢翁を誇りとする市民の心を背景として、深谷市は建物を所有していた第一勧業銀行に両建物の移築を強く要望し、解体工事は着手寸前に延期されました。この後、市議会の承認や第一勧業銀行の同意を得て、誠之堂と清風亭は正式に深谷市へ移築されることになりました。
移築場所の候補地は何か所かありましたが、建築の専門家や市議会議員代表で組織した調査委員会の検討に基づき、両建物は、北部運動公園内に新しい大寄公民館と併設されることが決定されました。
なお、誠之堂と清風亭の保存問題は、貴重な建物であるだけに、建築学界からも注目を集めていました。このため、深谷市への移築保存が決定してからは、日本建築家協会から深谷市への激励書が寄せられたり、雑誌などに研究者の賞賛の声が掲載されたりしました。
また、誠之堂のような、文化財的価値の高いレンガ建造物を移築するのは、世界的にもまれなことであり、この点からも建築や文化財の専門家の関心を集めました。
移築復元工事の概要
誠之堂・清風亭のような文化財的価値の高い建築物、特に誠之堂のような煉瓦構造物の移築は、日本でも初めての試みでした。深谷市では移築保存調査委員会を、移築を請け負った清水建設では移築保存検討委員会を設置し、移築方法などの検討を重ねました。
その結果、2棟の移築場所は大寄公民館敷地内とし、「大ばらし」を応用した日本初の工法により実施することに決定しました。これは、煉瓦壁をなるべく大きく切断して搬送し、移築先で組み直す工法です。大ばらしの部材は、解体工事と並行して、順次深谷市へ移送され、解体部材は移築予定地から300mの地点に所在する旧深谷農協本店敷地内に仮置きされました。
そして、平成10年2月から2年間の解体・復元工事を経て、平成11年8月に移築復元が完成しました。
移築復元の方針として、現状維持を基本とし、後世の改変部分はできる限り創建時の姿に復旧しました。
また、清和園当時から、2つの異なる様式の建物が並び建っていることが一層それぞれの存在価値を引き立てていると評価されていましたが、清和園での位置関係をほぼ同様に移築復元できました。
こうして、2棟の記念碑的な建物は、渋沢栄一生誕の地である深谷市で、地域の中に生きる文化財として、新たな歴史を歩み始めることになりました。
誠之堂

切断された誠之堂の煉瓦壁等

基礎に備え付けられた暖炉部

ほぼ組み立てが終わった煉瓦壁

積み上げた煉瓦を固定するために、コンクリートのがりょうを巡らせました。がりょう上部から煉瓦壁を通じ基礎までPC鋼棒を貫通させ、ボルトで締め付け、煉瓦壁体を固定しました。

据え付けられた漆喰天井

天井彫刻の修復

一枚ずつ葺かれていくスレート瓦
清風亭

切断され運ばれたベランダアーチ

据え付けられたベランダアーチ

煙突の取付け

鉄筋コンクリートの駆体の屋根裏部

移設された天井レリーフ

一枚ずつ葺かれるスペイン瓦
更新日:2025年10月08日