清風亭
清風亭の歴史

清風亭は、大正15年(1926)に、当時第一銀行頭取であった佐々木勇之助の古希(70歳)を記念して、清和園内に誠之堂と並べて建てられました。
建築資金は、誠之堂と同じくすべて第一銀行行員たちの出資によるものでした。
栄一が「謙徳に富んだかた」と評した佐々木は、当初、自身の古希を記念する建物の建設を辞退しようとしたそうです。目立つことを好まない質実な性格をしのばせる逸話ですが、そうした佐々木も栄一と同じく行員たちから強く慕われていたことが伺われます。
平成16年3月23日、埼玉県指定有形文化財に指定されました。
「清風亭」の名前
清風亭は、当初、佐々木の雅号をとって「茗香記念館」等と呼ばれていましたが、後に「清風亭」と呼ばれるようになりました。
設計時点の資料が残されていますが、これには「清和園記念館」のほか「清風亭」という名称がすでに見られることから、この名称は、設計当初において考えられていたものと考えられます。
建物の概要
建築面積168平方メートルで、鉄筋コンクリート造平屋建。
外壁は、人造石掻落し仕上げの白壁で、対称的に黒いスクラッチタイルと鼻黒煉瓦がアクセントをつけています。
設計者は、銀行建築の第一人者の西村好時です。
屋根のスパニッシュ瓦、ベランダの5連アーチ、出窓のステンドグラスや円柱装飾など、西村自身が「南欧田園趣味」と記述している当時流行していたスペイン風の様式が採られています。
大正12年の関東大震災を契機に、日本の洋建築の構造は、煉瓦造から鉄筋コンクリート造へと主流が代わりましたが、清風亭は鉄筋コンクリート造の初期の建築物としても建築史上貴重なものといえます。
佐々木勇之助について

佐々木勇之助(1854-1937)は、若干28歳での第一国立銀行本店支配人就任をはじめとして、同行の数々の役員を歴任し、大正5年、栄一を継いで第一銀行第2代頭取に就任しました。
勤勉精励、謹厳方正な性格で知られ、栄一も深く信頼していました。明治39年に、「取締役総支配人」に就任しますが、これは、栄一が佐々木に第一銀行の業務を一任するために特別に設けた役職であり、二人の絆の強さが伺われます。
佐々木自身も財界の重鎮として活躍しましたが、終始、渋沢栄一を補佐しました。渋沢栄一の多方面にわたる精力的な活躍も、佐々木の手腕と人格によるところが大きかったと考えられています。
更新日:2023年03月27日