稲荷神社・可堂桃井先生碑
桃井可堂は現在の深谷市北阿賀野に生まれました。名は儀八、号は可堂といいます。12歳の時、渋沢仁山に師事しました。22歳で江戸遊学を志し、江戸の東條一堂に学び門下の三傑と称されました。そこで勝海舟、藤田東湖らとの交流があり、水戸、長州藩の影響を大きく受けたといわれます。その後、備中庭瀬藩板倉勝資に仕えましたが、文久3年に長州に接近。同藩を辞して帰郷し、中瀬村(現在の深谷市中瀬)で学問を教えながら尊王攘夷の挙兵を計画しました。上武、越後の同志を集め、計画の実行を試みるも、仲間の裏切りがあって計画は失敗に終わってしまいます。可堂は川越藩に自首し、絶食して命を落としました。北阿賀野の稲荷神社には、栄一が撰文した可堂桃井先生碑が建っています。
可堂桃井先生碑
更新日:2023年03月27日