25.宮中御養蚕と渋沢栄一

更新日:2023年03月27日

養蚕の始まりは西暦450年、今から1550年前のことであり、日本書紀に「雄略天皇が皇后に蚕を飼うようにすすめた」という記述があります。現在、歴代の皇后が引き継ぐ形になっているのは、明治4年、昭憲皇太后が吹上御苑内で復興されたのが最初です。復活するにあたり、相談を仰せつかったのが渋沢栄一でした。

明治4年、皇后陛下(昭憲皇太后)は、宮中にて養蚕を始めるにあたり、養蚕に関することをその道の経験のある者に聴取するようにと、皇后宮太夫に御沙汰をし、太夫は当時の政府官吏の中で、渋沢栄一を最適任者として選び、陛下に奉答しました。皇后陛下は早速栄一を召され、種々質問され、栄一がこれに奉答した結果、ここに始めて宮中御養蚕実施のこととなりました。しかし、栄一にはその実際についてお世話申し上げるだけの深い自信がなかったので、熟慮の上、親戚である群馬県佐渡郡島村(現伊勢崎市島村)の郷長、田島武平をお世話役として推薦しました。武平は直ちに奉仕者の人選に着手し、婦人4名を選定し届け出ました。御養蚕所は、宮中吹上御苑内の「瀧の御茶屋」に近い御茶室がこれに充てられました。当初、御養蚕所新築の議が出ましたが、それには及ばぬということで、御茶室で間に合わせられたということです。

皇室の御養蚕は、昭憲皇太后から貞明皇后、香淳皇后、美智子皇后へと引き継がれ、天皇陛下の御稲作とともに、我が国の農耕文化の象徴として重要な皇室行事となっています。御養蚕所で収穫された繭は絹織物となり、外国訪問のときの贈答品や宮廷祭事などにも使われます。

「宮中御養蚕」の草分けの役割を果たしたのが、郷土の偉人渋沢栄一であったことに感動するとともに、郷土深谷市の誇りです。

昭和6年11月11日永眠。92歳。天皇からは御沙汰書を賜りました。

〔文・荻野勝正さん/平成18年1月号掲載〕

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