24.渋沢栄一と桃井可堂

更新日:2023年03月27日

渋沢栄一と「深谷の吉田松陰」といわれた桃井可堂との関係について述べます。

  1. 出生について
    栄一は血洗島村、可堂はすぐ北隣の北阿賀野村でどちらも農家の出身、栄一は37歳年下です。
  2. 人となり
    両者とも、若い頃から学問を好み、後に栄一は日本の近代産業を興し、可堂は有名な学者になりました。
  3. 栄一と可堂との結びつき
    両者の接触は、栄一が江戸に遊学した数年間で、実際は可堂が中瀬村で塾を開き、挙兵計画を立てた約1年あまりでした。
  4. 両者の思想
    栄一は江戸へ出て、儒学を海保漁村に、剣を千葉周作に学び、わずか数年で急激な攘夷思想を抱きました。可堂は江戸で三十余年塾を開き、諸藩の藩主や藩士を教え、藤田東湖・勝海舟など著名人や諸国の勤皇の志士と交流、攘夷から倒幕の考えを持ちました。

〔文・持田勉さん/平成17年12月号掲載〕

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