22.栄一の遺志を継いだ「渋沢国際学園」

更新日:2023年03月27日

渋沢栄一翁の生家は、5年前の平成12年(2000)3月31日までの15年間、学校法人青淵塾渋沢国際学園として世界各国からの留学生に開放して日本語や日本文化・国際親善(こくさいしんぜん)等の教育に力を注いできました。

この渋沢国際学園の開校は、栄一翁の甥(おい)で「中の家(なかんち)」を継いだ渋沢元治(もとじ)博士(名古屋帝国大学初代総長・文化功労賞受賞)が他界されてから10年後の昭和60年(1985)4月1日のことでした。

この学園開設の中心となったのは、国際親善に終生力を尽くされた栄一翁の遺志を継承する渋沢多歌(たか)(元治の長男亨三(こうぞう)の妻)の発願によるものでした。

開校式は、埼玉県や深谷市の行政当局をはじめ多くの人々の理解と協力を得て衆目が見守る中を、たった一人の留学生アメリカのオハイオ州出身のフランク・スタンレー君(現在アメリカの外交官)だけだったそうです。

開校当初の日本国内の社会情勢は、「日本語を学びに来た」と言いながら仕事場を探し求めるというような入国管理上の問題が深刻化していて、日本語学校に対する風当たりは決してやさしいものではありませんでした。

栄一翁の生誕(せいたん)の地とはいえ深谷市の片田舎(かたいなか)に開いて留学生を集めることにはかなりの苦労が伴いました。私財を投じての学園経営の基礎固めに没頭する中、幸いなことに深谷市をあげて留学生一人一人に物心両面からの支援をするための後援会組織が誕生し、後援会長には歴代の深谷市長が当たってきました。

そして、多くの理解者に支えられて開校以来15年間、所期の目的を終えて平成12年3月31日を以って閉校することとなりました。この間にこの学園の門をたたいた留学生の数は世界 47ケ国679人でした。

彼らは、栄一翁の精神を胸にそれぞれの祖国に旅立っていきました。かつて若き日の栄一が徳川慶喜(とくがわよしのぶ)公の弟昭武(あきたけ)に随行(ずいこう)してフランスで学んだ時のように、留学生たちの胸は大きな希望に膨らんでいたことでしょう。

〔文・水野四郎さん/平成17年10月号掲載〕

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