渋沢 栄一 デジタルミュージアム【shibusawa eiichi digital museum】

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21.生地、血洗島の地名について

更新日:2016年3月31日

 大正初期に渋沢栄一翁は次のような談話を『龍門雑誌』に載せています。『…恐ろしげなるこの村名のかげには幾多の伝説と口碑(言い伝え)とが伝わっている。
 しかしそれは赤城の山霊が他の山霊と戦って片腕をひしがれ、その傷口をこの地で洗ったという種類のもので…』(日光の山霊=大蛇と赤城の山霊=ムカデが戦場ヶ原で戦ったという伝説)続いて『…斉東野人(孟子〔万章〕の事理を知らない田舎者の例え)の語たるは言うまでもない』と地名に対しては、あまり伝承や口碑にはこだわらなかったようですが各地を訪れる先々で血洗島の由来を質問されたそうです。
 特に定説はありませんが、他に

  1. アイヌ語の「ケシ=厚岸、ケセン=気仙沼、ケッセン」(岸、末端などの意)で血洗(この当て字が憶測のもと)という説。〔因みに利根川のトネはアイヌ語で(tanne)長いという意味〕
  2. その昔、この辺りで合戦があり(一説に平安時代に八幡太郎義家の奥州遠征の途中)家臣の一人が切り落とされた片手を洗ったので血洗島と言い、土地の人がその手を近くに葬った墓が手墓と言う伝説がありました。

手計のハカは地形の崖(ハカ)や古名の竹幌(アイヌ語で縄張り・垣根の意)が手計幌から手計と言う説があります。

  • 右のように合戦やアイヌ語などを語源とする説もありますが、通称『チアラジマ』と言うように度重なる利根川の氾濫のため地が荒れたとか、地を洗うように流れたと言う方が頷けるようです。
  • 正式名称は『チアライジマ』で島と言うのは、この辺り一帯の利根南岸氾濫原にある四瀬八島の四つの瀬、八つの島に由来します。(中瀬・横瀬、内ヶ島・西島など)

 栄一翁は24歳で村を出てから70年近く他郷で活躍している時、たびたび血洗島の意味を尋ねられて語っていると懐かしさと愛郷心が湧いてきて、帰郷の度ごとに故郷の人々のために立派な足跡をたくさん残して下さいました。

〔文・安部利平さん/平成17年9月号掲載〕

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