渋沢 栄一 デジタルミュージアム【shibusawa eiichi digital museum】

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17.「日本の近代化」の功労者

更新日:2016年3月31日

 江戸時代が終わり、わが国が西洋の文明を取り入れて、近代国家の建設を行っていく中で、大きな役割を果たした人物に、福沢諭吉と渋沢栄一がいます。
 福沢諭吉は思想家であり、教育家でもありました。幕末に咸臨丸(かんりんまる)で太平洋を横断し、サンフランシスコに行き、またヨーロッパにも行き、西洋文化を広く紹介した事で有名です。「西洋事情」や「学問のすすめ」という本を出版し、教育家としては、慶應義塾をつくり、多くの優秀な人材を育てました。
 渋沢栄一は実業家として、多くの会社を興しました。「近代資本主義の父」とも呼ばれています。有名なものは、「第一国立銀行(現在のみずほ銀行)」の頭取として、長い間、日本の経済界に貢献されました。渋沢栄一の関係した会社は五百社とも言われます。実業家としての仕事をしながら、国際親善、社会福祉事業、女子教育事業等々の多岐にわたる分野において渋沢栄一の貢献が見られます。
 二人とも天保年間(江戸時代の終わりの頃の年号)の生まれで、福沢諭吉が6歳年上です。また二人は慈悲深い母親に育てられ、その生き方に影響を受けております。欧米に行き、近代文明社会に接して、新しい考え方や、新しい事業を学んで帰りました。渋沢栄一は明治2年から4年間近く大蔵省(現在の財務省)に勤めましたが、それ以外はすべて民間人として働きました。福沢諭吉は役人になったことはなく、ずっと民間人の立場でした。二人の出会いは何回かありましたが、日清戦争の時、戦争の費用を集める会の発起人にもなりました。福沢諭吉は、時事新報という新聞で産業界のお手本として渋沢栄一の栄誉をたたえています。
 私たちは、福沢諭吉や渋沢栄一を学ぶことによって多くのことが得られます。二人の教えや、二人が残したものは、今日でも脈々と生き続けています。二人が今日の日本を見れば、どういう思いでいるのでしょうか。

〔文・韮塚良一さん/平成17年5月号掲載〕

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