16.渋沢栄一とフランス

更新日:2023年03月27日

渋沢栄一が、日本近代資本主義の父といわれ、多くの偉大な業績を残した直接のきっかけはパリ万博に随行員として派遣され、進んだヨーロッパを見たことにあると思います。28歳の若さに輝いている栄一が、フランスで新しい文化を見た姿が目に浮かびます。

慶応3年、将軍慶喜の弟、清水昭武は、パリ万博親善使節として派遣されましたが、栄一もこれに同行しました。栄一が正しく、ヨーロッパ文明を自らの目で見て、日本に導入したことは、日本の資本主義発展にとって幸なことであったと思います。ポール・クルーデルと共に日仏会館を開館したことも、渋沢・クローデル賞が、開館60周年事業として設定されたことも、その原点は、このヨーロッパ訪問にあったのです。

相手の言うことをじっくり聞いて、まず相手を理解し、誠実に対応する生涯を通じての態度は、この時のフランス語の習得に見せた熱意と努力の仕方にその基礎を感じさせます。論語を幼時より学んでいた学問の積み重ねの上にあったため、その知識がより強いものになったこともたしかです。栄一の父の生家「東の家」の八代目のフランス文学者、渋沢龍彦も日仏相互理解と親善に大きな貢献をしました。日本文学の国際化・本格化のため、龍彦は大きな業績を上げました。渋沢龍彦全集22巻を始め、翻訳全集他、160冊に近い関連の書物を深谷図書館で読むことが出来ますが、日本文学史上、森鴎外に次ぐ大きな業績といわれています。もちろん、渋沢栄一関連の書物が、最大の蔵書数となっていますが、龍彦に関しては、それに次ぐものとなっております。「戦後の日本において欠如したものは風格であって、残ったものは、さもしい根性だけだ。」と会田雄次が書いていますが、クローデルは、日本人は貧しいが気高いといっております。

〔文・長谷川和雄さん/平成17年4月号掲載〕

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