渋沢 栄一 デジタルミュージアム【shibusawa eiichi digital museum】

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15.忠恕のこころ

更新日:2016年3月31日

 私が「中の家」と呼ばれる渋沢栄一の生地を最初に訪れたのは昭和62年頃で、当時渋沢国際学園として海外からの留学生を受け入れていました。「中の家」のある血洗島周辺は、私の生まれ育った東北の農村地帯を思わせる静かなたたずまいで、それまで私の知っていた経済・実業界の偉人、渋沢栄一と、生まれ育った土地とのコントラストに興味をそそられたことを思い出します。
 平成12年10月、「中の家」は深谷市の管理になり、私はそれから約1年半、深谷市生涯学習課の委託でここの管理に携わる一員になることができました。まだ留学生たちの生活の息遣いが感じられるこの屋敷で過ごしたことは渋沢栄一を理解する上で大きな宝になったと思っています。 栄一が育った時代はほぼ必然的に、幕末から維新へ突き進む中で、ある意味、時代の流れに翻弄され、そういう時代環境の影響も大きかったと思います。そんな中で、実直で学問熱心、そして地域農民のまとめ役だった父親、市郎右衛門や人情に篤かった母親、えい、従兄であり師であった尾高藍香など、沢山の人の影響をも受けました。渋沢栄一の『論語と算盤』には随所に「忠恕の道」ということばがみられます。「まごころ・おもいやり」を意味するこのことばは栄一が生涯貫いた思想であるといわれています。渋沢栄一は、経済人としての活動のほか、社会福祉事業に生涯をかけて情熱を注ぎました。そのこころに流れていたのは、この土地で育まれた「忠恕のこころ」ではなかったでしょうか。
 私は、第二次世界大戦の最中に農家の長男として生まれましたが、結果的に妹に家督を譲るに至った自分の人生を振り返ると、渋沢栄一の歩んだ人生はとてつもなく大きく見えてきます。しかしながら人は、受けた教育や育った環境によって、その人格の形成は大きく影響を受けるものだと改めて感じます。

〔文・渡部和夫さん/平成17年3月号掲載〕

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