12.渋沢栄一のめざしたもの

更新日:2023年04月24日

渋沢栄一は、昭和6年11月11日、92歳で亡くなりました。その長い生涯をかけて、栄一が実現しようとしたものは何だったのでしょうか。

まず、第一に、「官尊民卑」(政府・官吏を尊んで、人民をいやしむこと)の打破ということが挙げられます。17歳の栄一が、岡部の陣屋の役人にさんざんに愚弄される話はあまりに有名ですが、この時の経験は、栄一に、家柄や身分によって人間が差別されることの非をさとらせ、そういうことのない社会の実現をめざすきっかけとなりました。数々の企業の創立や運営にたずさわった栄一ですが、こうした事業活動を通じて、優れた人物を育成し、民間の地位を高めることに努めました。

次に「独占」(利益を独り占めにすること)の打破ということがあります。富というものは、社会全体を富ましてこそ真の富であるといつも考え、そのように行動しました。明治16年には、当時わが国海運事業を独占していた岩崎弥太郎率いる三菱汽船を相手に、三井の益田孝らと共同運輸会社をつくり、果敢にこれに挑戦しました。また、明治26年には、同じく海外航路を独占していたイギリスのピーオー汽船に対抗して、日本郵船の広島丸を神戸より出航させ、わが国初の海外航路をインドとの間に開きました。

最後に、心から「世界の平和」を願いました。特に、日米親善には心を砕き、四度の訪米をはじめ、日米同志会や日米関係委員会の活動を通じて、アメリカの政府関係者・学者・実業家などとの交流をはかり、互いの理解を深める努力を重ねました。

いま、世界は、いたるところで、戦争があり、貧困があります。栄一のめざした社会は、いまだ実現されていません。この意味で、栄一もまた、志なかばに散った者の一人であるというほかありません。合掌。

〔文・新井慎一さん/平成16年12月号掲載〕

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