渋沢 栄一 デジタルミュージアム【shibusawa eiichi digital museum】

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8.渋沢栄一翁と尾高惇忠

更新日:2016年3月31日

 渋沢栄一の師・尾高惇忠は、1830年(天保元年)、現在の深谷市大字下手計に生まれました。渋沢栄一は1840年の生まれですから、渋沢栄一より10歳年長ということになります。
 渋沢栄一の生まれた深谷市大字血洗島と下手計の距離は、およそ1キロメートルで、この道路は、栄一が惇忠に論語を習いに通った道であることから、いつしか「論語の道」と呼ばれ、また、この地域一帯は「論語の里」と呼ばれるようになりました。
 尾高惇忠は、1847年から1868年ごろまで自宅で塾を開き近郷の人々に学問を教えました。渋沢栄一が初めて尾高塾に通ったのは7歳の時で、その後数年間、惇忠の教えを受けました。惇忠の思想の中心をなすものは陽明学の知行合一の教えで、この文字を自ら書した軸を学舎に掲げ、尾高塾の基本方針としました。
 教育者としての尾高惇忠の力量が遺憾なく発揮された舞台は、我が国で初めて設立された官営富岡製糸場でした。この初代工場長の惇忠は「至誠如神」(至誠神の如し)の四文字を大書した額を工場長室に掲げ、工場の運営方針としました。
 「掃除によって心を磨く」運動を続けている株式会社イエローハットの創立者・鍵山秀三郎氏は、群馬県富岡市における掃除大会の際に、尾高惇忠の「至誠如神」の言葉に出会った感動を、講演の中で次のように話しています。「至誠神の如し、才能があってもなくても、素質があってもなくても、たとえそれがどんなに小さくても、誠意を尽くせば、その尽くしている姿そのものが神様と同じ、神の如しということでございます。何か事あるごとに至誠神の如しということを思いおこしてください。」
 教育者としての惇忠の志は、世紀を越えて語り告がれることでしょう。

〔文・荻野勝正さん/平成16年8月号掲載〕

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