6.渋沢栄一翁と西郷隆盛さん

更新日:2023年03月27日

電車に乗って東京へ行くと上野駅に着きます。上野駅の近くの公園に犬を連れた西郷さんの大きな銅像が建っています。

西郷さんは薩摩藩(現在の鹿児島県)出身で、日本が江戸から明治という時代になるとき幕府を倒した中心人物です。

ですから、明治政府の中でも参議というたいへん高い地位についていました。

そのえらい西郷さんが、ある日、大蔵省の役人であった栄一翁の家へやってきました。その頃日本は今まで大名が治めていた藩を廃止して現在のような県というしくみに変わりました。

「今日はお頼みがあってまいった」と西郷さんが言いました。「何でしょう」とたずねると西郷さんは「相馬藩(現在の福島県)に二宮金次郎が指導した興国安民法というのがあって藩の財政の立て直しに努力している最中である。ついては、このやり方が成果をあげているので、藩がなくなって県となってもこれを存続できるようにして欲しい」というものでした。

興国安民法というのは、収入の少ない年を基準としてお金を使い、あまったら収入を増やす為に使用するという方法です。

つまり収入を考えて支出を考えるということです。

当時、大蔵省も渋沢栄一翁も収入を考えて支出を考えるという考えでした。

けれども西郷さんたちは、その考えとは反対に入ってくるお金を考えないで、政治をするのに必要だからお金を出せと大蔵省に要求してきていました。

そこで栄一翁は西郷さんに言いました。「いつも西郷さんがやっていることは興国安民法の考えとは反対なのに、今日は相馬藩のめんどうをみてくれというのはおかしいではございませんか」と。すると西郷さんは「いや、そのとおりだ。私は今日頼み事があってきたのに渋沢さんにしかられてしまった」といって帰っていきました。

〔文・篠田鼎一郎さん/平成16年6月号掲載〕

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