渋沢 栄一 デジタルミュージアム【shibusawa eiichi digital museum】

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3.渋沢栄一と福沢諭吉

更新日:2016年3月31日

 明治26年6月11日は、『時事新報』に「一覚宿昔青雲夢」という記事が載せられた日です。時事新報は福沢諭吉が発行している新聞で、その記事は、渋沢栄一の生き方に感動した諭吉の1750字におよぶ社説だったのです。「政府の役人になることだけが出世の道だと思い込んでいる人(青雲の夢)が多いが、そんな夢からはやく目覚めてほしい。実業の道にすすんで、今はこの社会において最高の地位にある、渋沢栄一の生き方こそがもっとも模範とすべきものである」と述べています。
 この同時代を生きた二人は、それほど親しいという間柄ではないが、共通点がみられます。
 まず、迷信などをにくむ合理的な考え方を持っていたということです。それぞれまじないの女をやっつけた話が伝えられています。この考え方が封建的差別制度を極度ににくむ態度につながっていきます。御用金を威張りちらして申し付ける代官に反発する栄一、下級士族の父の生き方をみて「門閥制度は親のかたき」といった諭吉。そして、これが二人の生き方の原動力になっているのです。
 栄一が一度は仕官した明治政府を辞任したのは、明治6年のことでした。大蔵省の上役の井上馨といっしょに辞表を出し、政府の財政案は危険だという建白書を発表しました。それからの栄一の歩んだ道は、皆さんのご承知のとおりです。
 諭吉も、明治政府の世になると、もう侍はたくさんだといってさっさと平民になり、政府の役人にもなりませんでした。
 よく言われている論語をそのよりどころとした栄一と、これをきらう諭吉ということにしても、この社説を読むかぎりでは感じられません。論語を引用したり、岩崎弥太郎でなく栄一を例にあげていることなど、諭吉も幼児より教えられた論語から得たものが多かったはずです。

〔文・吉橋孝治さん/平成16年3月号掲載〕

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