2.生涯学び続けた渋沢栄一

更新日:2023年03月27日

文豪、幸田露伴は『渋沢栄一伝』の第一ページで、栄一は時代の子として生まれ、時代に造り出された人であるといっています。幕末から維新という時代に生きた多くの人は、時代の中に消えていったのですが、その中で渋沢栄一が、日本近代資本主義の父となることができたのは、少年時代から絶えず学び続けたからではないでしょうか。

渋沢栄一は、はじめお父さんから学問の手ほどきを受け、続いて青年時代には、10歳年長のいとこ、尾高惇忠の塾で学問することの面白さを学びました。

渋沢栄一が世に出るきっかけとなったのは、1867年にフランスの首都パリで開催された万国博覧会でした。将軍代理として参加した徳川昭武(徳川慶喜の弟で当時14歳)のお供の一人として参加した渋沢栄一は、パリへ渡る船の中でフランス語の勉強を始め、フランスについてからも語学教師について学び、1か月ほどでフランス語会話を習得してしまいました。

渋沢栄一が、資本主義システムをはじめ多くのことをフランスで学ぶことができたのは、まずはじめに語学力を身につけるという“先見の明”があったからに違いありません。

晩年になっても渋沢栄一の向学心は衰えませんでした。お弟子さんで林学博士の本多静六さんは「渋沢翁はえらい勉強家で、私が外遊すると、すぐ土産話をしてくれといってくる。翁が88歳の頃、伊香保温泉で静養中に、面白い本はないかといわれたので、ダーウィンの進化論とメンデルの遺伝の法則の本を持っていったら一週間ほどで読破し、分からぬ所へ印をつけておいて理解するまで質問しました。こういう努力が翁の人格を完成させたのだと思います。」と語っています。

渋沢栄一は、たえず学び続け、努力に努力を重ねた人でした。渋沢栄一こそ生涯学習のこよなきお手本ではないでしょうか。

〔文・清水惣之助さん/平成16年2月号掲載〕

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