渋沢 栄一 デジタルミュージアム【shibusawa eiichi digital museum】

文字サイズ変更

現在の位置

渋沢栄一の紹介

更新日:2016年3月31日

近代日本経済の父 渋沢栄一

栄一肖像写真

 近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売・養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。
 20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取りを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。
 一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官します。栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わったといわれています。また約600もの教育機関・社会公共事業の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。

年表

青春時代
西暦 和暦 年齢 主 な で き ご と 日本と世界の動き
1840年 天保11年 0 2月13日、現在の埼玉県深谷市血洗島に生まれる。 アヘン戦争勃発
1858年 安政5年 18 従妹ちよ(尾高惇忠の妹)と結婚。 日米修好通商条約・安政の大獄
1863年 文久3年 23 高崎城乗っ取り、横浜焼き討ちを企てるが計画を中止し京都に出奔。 井伊大老暗殺(1860)
1864年 元治1年 24 一橋慶喜に仕える。 外国艦隊下関を砲撃
1867年 慶応3年 27 徳川昭武に従ってフランスへ出立(パリ万博使節団)。 大政奉還、王政復古
1868年 明治1年 28 明治維新によりフランスより帰国、静岡で慶喜に面会。 戊辰戦争(1868~1869)
1869年 明治2年 29 静岡藩に「商法会所」設立。
明治政府に仕え、民部省租税正と なる。民部省改正掛掛長を兼ねる。
東京遷都
東京・横浜間に電信開通

 

実業界を指導育成した時代
西暦 和暦 年齢 主 な で き ご と 日本と世界の動き
1870年 明治3年 30 官営富岡製糸場設置主任となる。 平民に苗字使用許可
1872年 明治5年 32 大蔵少輔事務取扱。抄紙会社設立出願。 新橋、横浜間鉄道開通
1873年 明治6年 33 大蔵省を辞める。第一国立銀行開業・総監役。
抄紙会社創立(後に王子製紙会社・取締役会長)。
国立銀行条例発布
1875年 明治8年 35 第一国立銀行頭取。商法講習所創立(現一橋大学)。  
1876年 明治9年 36 東京会議所会頭。 東京府養育院事務長(後に院長)。 私立三井銀行開業
1877年 明治10年 37 択善会創立(後に東京銀行集会所・会長)。 西南戦争
1878年 明治11年 38 東京商法会議所創立・会頭(後に東京商業会議所・会頭)。  
1879年 明治12年 39 大阪紡績会社の設立に尽力する。(開業は1883年)
グラント将軍(元第18代米国大統領)歓迎会
 
1881年 明治14年 41 東京大学文学部講師として「日本財政論」を講義。(以後三ヶ年に及ぶ)  
1882年 明治15年 42 ちよ夫人死去。翌年、伊藤兼子と再婚する。 日本銀行営業開始
1884年 明治17年 44 日本鉄道会社理事委員(後に取締役)。 華族令制定
1885年 明治18年 45 日本郵船会社創立(後に取締役)。
東京養育院院長。東京瓦斯会社創立(創立委員長、後に取締役会長)
内閣制度制定 
1886年 明治19年 46 「竜門社」創立。 東京電灯会社設立(後に委員)。  
1887年 明治20年 47 わが国初の機械式煉瓦製造となる日本煉瓦製造施設株式会社(深谷市上敷免)を設立する。  
1896年 明治29年 56 京釜鉄道会社の設立に尽力する。さらに三年後には京仁鉄道会社合資会社を設立する。   
1897年 明治30年 57 澁澤倉庫部開業(後に澁澤倉庫会社・発起人)。 金本位制施行
1900年 明治33年 60 日本興業銀行設立委員。 男爵を授けられる。  
1901年 明治34年 61 日本女子大学校開校・会計監督。(後に校長)  
1902年 明治35年 62 兼子夫人同伴で欧米視察。ルーズベルト大統領と会見。 日英同盟協定調印
1906年 明治39年 66 東京電力会社創立・取締役。
京阪電気鉄道会社創立・創立委員長(後に相談役)。
鉄道国有法公布 
1907年 明治40年 67 社団法人東京慈恵会を設立し、理事・副会長として尽力する。 恐慌、株式暴落
1908年 明治41年 68 八基小学校にて「一村の興隆と村の自治的精神」と題し講演を行う。
中央慈善協会(現在の全国社会福祉協議会)が設立され会長となる。
 

 

社会公共事業に尽力した時代
西暦 和暦 年齢 主 な で き ご と 日本と世界の動き
1909年 明治42年 69 古稀を機に多くの企業・団体の役員を辞任。
渡米実業団を組織し団長として渡米。 タフト大統領と会見。
 
1911年 明治44年 71 勲一等に叙し瑞宝章を授与される。  
1912年 明治45年 72 帰一協会成立。  
1914年 大正3年 74 日中経済界の提携のため中国訪問。 第一次世界大戦勃発
1915年 大正4年 75 パナマ運河開通博覧会のため渡米。
諏訪神社(深谷市血洗島)に拜殿を寄進する。
 
1916年 大正5年 76 喜寿を機に実業界を引退。
「論語と算盤」を刊行する。
 
1917年 大正6年 77 日米協会創立・名誉副会長。 事実上の金本位停止
1918年 大正7年 78 渋沢栄一著『徳川慶喜公伝』(竜門社)刊行。  
1919年 大正8年 79 協調会創立・副会長。 ヴェルサイユ条約調印
1920年 大正9年 80 国際連盟協会創立・会長。子爵を授けられる。 株式暴落(戦後恐慌)
1921年 大正10年 81 排日問題善後策を講ずるため渡米。ハーディング大統領と会見。  
1923年 大正12年 83 大震災善後会創立・副会長。
二松学舎にて論語講義をする。(以後三ヶ年に及ぶ)
関東大震災
1926年 大正15年 86 11月11日の平和記念日にラジオ放送を通じて、平和への訴えを行う。(以降恒例となる)ノーベル平和賞候補となる。(翌年も同候補となる)  
1927年 昭和2年 87 日本国際児童親善会創立・会長。日米親善人形歓迎会を主催。 金融恐慌勃発
1929年 昭和4年 89 宮中に参内し、御陪食の光栄に浴する。 世界大恐慌はじまる
1931年 昭和6年 91 11月10日正二位に叙せられる。11月11日永眠。 満州事変

 

関連リンク

油絵で見る渋沢栄一の生涯

渋沢栄一物語

お問い合わせ先

渋沢栄一記念館
〒366-0002
埼玉県深谷市下手計1204
電話:048-587-1100
ファクス:048-587-1101
メールフォームでのお問い合せはこちら