レンガのまち深谷

更新日:2015年1月13日

深谷のまちを歩いていると、レンガ造りの建物が目につきます。
赤茶色のザラっとした感触のもたらす温もりの中にも、どこかノスタルジックな哀愁のあるレンガの持ち味は、落ち着いた深谷の町並みによく似合います。

深谷市とレンガ

 深谷と言えばネギというのが一般的には知られているところですが、レンガを連想する人は少ないのではないでしょうか。しかし深谷には明治20年(1887年)から操業を続けている日本煉瓦製造株式会社というレンガ工場がありました。この会社は日本で最初の機械式レンガ工場で、郷土の偉人渋沢栄一翁らにより設立され、東京駅をはじめ明治から大正にかけて多くの近代建築物がこの会社の煉瓦を使い建設されました。

 深谷市では、「渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり」事業を推進しており、市の条例に定められた規格のレンガ調建築物を新築した方に、奨励金を交付しております。

 この本市の事業にあわせるかのように、日本煉瓦製造株式会社の旧煉瓦製造施設が平成9年5月29日、日本の近代化の礎をなした重要な遺産として、国の重要文化財に指定されました。これを機にレンガのまち深谷をアピールし、日本の近代化に重要な役割を果たした煉瓦に対する理解の一助になることを期待しています。 

深谷のレンガ史

 「レンガのまち深谷」のレンガ史は、渋沢栄一翁が明治20年につくった日本煉瓦製造会社(後の日本煉瓦製造株式会社)の工場に始まります。

 日本煉瓦製造会社の工場は、ドイツ人技師チーゼを招いて操業を始めました。ホフマン輪窯(わがま)6号窯、旧事務所、旧変電室、備前渠鉄橋が国の重要文化財に指定されています。現在は、市に寄贈され保存されています。

 日本煉瓦製造会社でつくられたレンガは、明治時代の代表的レンガ建築である、司法省(現法務省)・日本銀行・旧東京裁判所・旧東京商業会議所・赤坂離宮・旧警視庁・旧三菱第2号館・東京大学・東京駅などに使われました。
 また、ここで製造したレンガを輸送するため、工場から深谷駅まで4.2キロメートルにわたって引き込み線が敷設されましたが、途中の福川に架けられた鉄橋はポーナル型プレートガーダー橋として現存する日本最古(明治28年)のもので、現在も大切に移設保存されています。

 深谷市では、この日本煉瓦製造会社の設立をはじめ、日本近代産業の指導者であった渋沢栄一翁の功績を顕彰するため、翁の生地に近い、下手計に「渋沢栄一記念館」を設置し、翁の肉声テープをはじめ、多くの資料を展示しています。

渋沢栄一記念館

郷土の偉人 渋沢栄一

 渋沢栄一は、天保11年(1840年)、現在の深谷市血洗島(ちあらいじま)の農家に生まれました。24歳のころ、徳川幕藩体制に疑問を抱き尊皇攘夷運動に加わりましたが、その後、一橋家および幕府に仕え、慶応3年(1867年)、第15代将軍徳川慶喜の名代徳川昭武に随行して渡欧。約2年滞在する中で、ヨーロッハ゜の進んだ思想・文化・社会などを目の当たりにし、大きな影響を受けました。

 明治元年(1868年)11月に帰国した後、大隈重信の説得により明治新政府の大蔵省に仕え、財政の整備に当たりましたが、大久保利通らと財政運営で意見が合わず辞職。以後は一般社会で実業界の最高指導者として活躍しました。
「論語」の精神を重んじ「道徳経済合一説」(どうとくけいざいごういつせつ)を唱え、各種産業の育成と多くの近代企業の確立に努め、第一国立銀行創立をはじめ設立に関わった企業は500余に及びました。
 また、600以上の社会公共事業に関わるとともに、昭和6年(1931年)に亡くなるまで、国際親善にも貢献しました。

渋沢栄一ミュージアム