江戸時代
江戸時代
~中山道の宿場町 深谷宿~
徳川家康が江戸に入ると、深谷城と東方城に1万石の大名が配置されました。しかし、両城とも江戸時代の初めのうちに廃城となってしまいます。
その後、深谷は城下町としてではなく、宿場町として発展していくことになります。江戸時代に整備された五街道の一つ、中山道(なかせんどう)が市域の中央を通っていました。深谷宿は、江戸の日本橋から数えて10番目に当たり、当時の町並みを描いた絵図からは、その繁栄ぶりが伺えます。
一方、北部の中瀬では、利根川水運の河岸場として深谷宿をしのぐにぎわいを見せました。
江戸時代の中ごろからは、地場産業の窯業や養蚕などが発展し、宿場には毎月5と10の日に市(六斎市)が立つようになりました。
旧深谷宿常夜燈(田所町)
旧深谷宿常夜燈(稲荷町)
また、深谷宿から中山道を西に下った岡部は、徳川家康に付き従った安部信盛の領地となります。安部家は、この地に岡部藩の陣屋を設け、江戸時代を通じて治めました。歴代藩主の安部家の墓が、菩提寺である源勝院に立てられています。
また、荒川に沿った南部では、秩父往還が通り、荒川の木材輸送などとともに栄え、街道に沿って小前田、武川などに宿場が形成されていきます。
こうして、中山道や中瀬河岸、秩父往還などを通じて江戸の情報や文化が広がり、七夕や八坂神社、諏訪神社の祭礼が、村々では万作踊りや獅子舞が盛んに行われました。七夕は、現在では毎年7月に中山道で開催され、大いににぎわいます。起源は、深谷宿の遊女の星祭りといわれています。
「岡部藩主安部家とその周辺」歴史講座レジュメ (PDFファイル: 1.7MB)
内ヶ島の万作踊り(段物:お半・長右衛門)
獅子舞(血洗島獅子舞)
更新日:2026年01月13日