先史時代・旧石器時代

更新日:2023年03月27日

わたしたちの住む深谷市は、関東平野のほぼ中央部、埼玉県の北部に位置しています。北端は利根川に接していて、その流れはたびたび氾濫しては人々を困らせましたが、同時に肥沃な土地をつくり、その恵みによって農業生産が盛んに行われてきました。また、南側には荒川が流れており、異なる風土を形成しております。

市の中央部を東西に走るJR高崎線を境に、南側に台地(櫛引台地)北側に低地(妻沼低地)が広がっています。冬には赤城颪(あかぎおろし)と呼ばれる強い北風が吹きます。天気のよいときは、遠くの山々を遠望することができます。また荒川南部には丘陵地帯に接する台地(江南台地)が広がっています。

この地にわたしたちの祖先が暮らし始めたのはいつのことでしょう。

数多く発見されている遺跡や残された文化財をたどることで、深谷の歴史を概観してみましょう。

先史時代

~海だった深谷とナウマン象が歩く平原~

深谷市に人類が現れる以前のことになりますが、大型のサメが生息していました。荒川の菅沼河原で体長13メートルと推定されるカルカロドンメガロドンの歯化石が昭和61年に発見されました。今から1200万年前の地層から発見されたことからこの頃、深谷市一帯は海の底であったことがわかります。

また、今から5万年から10万年前のナウマン象の化石が上折之口で発見されています。

ナウマン象臼歯

ナウマン象臼歯化石(個人蔵)

ナウマン象臼歯

*このほか同時に出土したナウマン象臼歯が、埼玉県立自然の博物館(長瀞町)に展示されています。

深谷市菅沼産カルカロドンメガロドン歯化石

深谷市菅沼で発見されたカルカロドンメガロドンの歯化石(埼玉県立自然の博物館所蔵)

旧石器時代

~最古の祖先の痕跡~

わたしたちの祖先が残した最も古い足跡は、旧石器時代までさかのぼります。長く続いた氷河時代の終わりで、狩猟を中心とした生活をしていたと推定されます。

深谷では6ヶ所の遺跡で発見されていて最も古いものは、幡羅遺跡(東方)や花小路遺跡(西大沼)で出土した、ナイフ型石器です。約2万年前のものと考えられます。

また、白草遺跡(本田)では細石刃が大量に出土していて、北方系の石器群の最南端の遺跡として注目されています。

ナイフ型石器

ナイフ型石器(幡羅遺跡出土)

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