郡家の変化と終焉

更新日:2023年03月27日

郡家の変化と終焉

 9世紀後半となると、実務官衙域にあった複数の建物ブロックは再編され、二重溝と土塁による一辺約120メートルの区画施設が成立します。これに伴う内部の建物跡はほとんど確認されていないため、施設の性格については明らかではありませんが、館的な機能を持つ複合的な施設であった可能性が考えられます。区画溝が11世紀前半に埋没することが確認されており、郡家に関連する施設の中では最後まで存続します。正倉院は10世紀前半あるいは中頃に廃絶し、10世紀後半には集落化が始まっており、この区画施設は、律令国家にとって最も重要視された正倉院廃絶後1世紀近く存続したことになります。郡家の持つ性格が変化したということも窺うことができる施設です。また平成21年には熊谷市域の調査で、同じ頃の二重溝による区画施設が確認されました。深谷市側のものとは異なる区画で、東西に並んでいると思われます。今後の調査に期待されます。

西辺を区画する二重溝

西辺を区画する二重溝

西辺を区画する内溝

西辺を区画する内溝

北辺を区画する外溝

北辺を区画する外溝。南側(写真右側)には、土塁状の高まりが認められます。

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