道路
道路
遺跡のほぼ中央を斜めに走る道路跡が確認されています。道路跡は両側に側溝を持ち、路面幅約6~8メートルと大規模なものです。7世紀後半~末頃の竪穴建物跡と重なりそれを壊していることから、7世紀末頃に造られたものと推定されます。北西側溝の規模は南東に比較して大きいため、北西側にある正倉院などを大きく区画するための溝という性格も兼ねていた可能性があります。この道路は、郡家間を結ぶ伝路ではないと思われます。北東に向かう先には西別府祭祀遺跡が存在し、低地へと降りる切り通しが今でもあります。西別府祭祀遺跡周辺には水路の存在も想定されるため、幡羅郡家は陸路と水路の交点に位置していることが考えられます。
道路跡(上空から)
前方の林の中に、湯殿神社や西別府祭祀遺跡があります。
更新日:2023年03月27日