石川浅次郎(いしかわあさじろう)

更新日:2023年03月27日

生没年

1860(万延元)年-1937(昭和12)年

解説

榛沢郡新戒村(現深谷市新戒)に石川熊次郎・ふじ夫妻の三男として生まれる。資性濶達、情義に厚く、幼少の頃より勉学に励み、高い教養を身につけた。また、剣を血洗島の澁澤道場に学び、斯道の達人となった。 家は代々農を以て業とし、当時は専ら藍作りを主産業とした。家業に勉励し、拮据経営すること三十餘年、藍作農家の同業組合を主宰し、組合の聲價を高めるうえに多大な貢献をした。 明治28(1895)年には新会村村会議員に選ばれ、以来連続7回の当選を果たした。新会村助役、学務委員、治水委員、大里郡会議員等の要職を歴任し、地方公共事業に尽瘁した。 晩年は鶴堂と號し、閑雲野鶴を伴侶とした。齢70を超えても、日に千字を習い、倦むことを知らなかった。教育勅語を謹書し、県下の小中学校に寄贈するもの数十幅に及び、また、法帖三千部を作り、書道奨励に献身した。 妻は上州佐波郡采女村小暮信三郎の長女で、はなといった。夫妻には六男一女があり、長男一衛は東京で工務店を経営し、晩年は参議院議員となった。二男栄一は家を継ぎ、埼玉県会議員を経て、参議院議員となった。三男馨は夭折、四男愛は陸軍航空兵中将となった。五男五郎は興業会社を経営、六男善衛は医学博士となり、東北帝大教授となった。長女春江は丹荘村の坂本氏に嫁ぎ一門繁栄した。 昭和12(1937)年2月8日病没。享年78。

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