柳田可つ良(やなぎたかつら)

更新日:2023年03月27日

柳田可つ良

生没年

1900(明治33)年―1918(大正7)年

解説

柳田可つ良は、明治33(1900)年榛沢村(現在の深谷市榛沢)に生まれました。父酉五郎(とりごろう)は東洲(とうしゅう)と号する漢学者、母いちは、積極的に和歌を発表した歌人でした。 可つ良は幼い時から書道で才能を発揮し、明治43(1910)年10歳にして皇太子殿下(のちの大正天皇)の御前で書を揮毫(毛筆で文字や絵を描くこと)する栄誉を受けます。御前揮毫の様子は、新聞各社で報道されたため、可つ良のもとには全国から揮毫の依頼が殺到したのでした。 書道で名を知られるようになった可つ良でしたが、それ以上に志したのは画道で、両親は11歳の可つ良を江森天壽(えもりてんじゅ)に入門させました。天壽は、幡羅村東方(現在の深谷市東方)の人で、当時東京美術学校を首席で卒業した画家です。可つ良は天壽の熱心な指導を受け、その才能を開花させていきました。この頃から可つ良は作品に雅号『桂華(けいか)』の落款、冠冒印に『曽賜御前揮毫之栄(そうしごぜんきごうのえい)』を押印するようになります。天壽は可つ良を画家としてさらに大成させるため、日本画家の荒木十畝(あらきじっぽ)にも入門させます。可つ良は、二人の師の教えを得て研鑚し、画家としての前途を大いに期待されました。 しかし、熊谷高等女学校を卒業後の大正7(1918)年5月3日、病に倒れた可つ良は、わずか18歳にして不帰の客となってしまいました。(『広報ふかや2015年4月号』より引用)

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