山口敏男(やまぐちとしお)

更新日:2017年2月22日

生没年

1902(明治35)年―1941(昭和16)年

解説

 山口敏男は、明治35(1902)年花園村(現在の深谷市小前田)に生れました。

 埼玉県師範学校(現在の埼玉大学教育学部)を卒業後、白日会会員の大久保喜一(おおくぼきいち)の指導を受けた敏男は、おおらかな画風で盛んに水彩画の制作を続け、寄居小学校、男衾小学校、花園小学校で教壇に立ちながら、日本水彩画会展、白日会展に毎年出品しました。

 戦時体制が敷かれていた当時は、美術全体が衰退をたどり、油絵の具の入手が困難な時期でした。そのため、県北地域では、水彩画を主体とした活動が寄居方面を中心に活発に行われました。そのグループの中心として活躍したのが敏男でした。敏男は雪と山脈と竹にひかれ、それらをテーマにした作品を数多く制作し、生涯で1000枚を超す作品を描いたと伝えられています。

 昭和8(1933)年、32歳の時に中西利雄(なかにしとしお)に師事してからは、ワットマン紙(純白の厚地の水彩画用紙)の荒目を愛用し、ますます闊達な画風をみせるようになります。その後、昭和11(1936)年、日本水彩画会展で賞を受賞したことをきっかけに白日会会友に推挙され、活躍の場を広げていきました。また、交友関係は幅広く、活動を共にしていた児玉町(現在の本庄市)出身の画家で日展の審査員も務めた古川弘(ふるかわひろし)や武者小路実篤(むしゃこうじさねあつ)との交友もあったと伝えられています。

 敏男は、精力的に作品の制作を続けていましたが、昭和16(1941)年40歳の若さで没しています。現在、埼玉県立近代美術館に9点の水彩画が収蔵されています。(『広報ふかや2015年6月号』より引用)

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