笠原五郎吉(かさはらごろきち)

更新日:2017年2月22日

生没年

1885(明治18)年-1958(昭和33)年

解説文

 笠原五郎吉は、明治18(1885)年、榛沢郡黒田村(現深谷市黒田)に生まれました。花園尋常高等小学校を卒業した後、埼玉県が主催した農業や養蚕の講習を受け、農業に従事します。

 当時の黒田村では、麦やサツマイモを栽培していましたが、肥料が手に入りにくかったため、収穫量が向上せず食糧は足りませんでした。収穫量向上と農業収益拡大のためには、まず「地力」を上げる必要があると考えた五郎吉は、大正3(1914)年にバークシャー種の純血黒豚を譲り受け、農業に養豚を取り入れた「有畜農業」を始めました。

 それにより地力の増強は成功し、農産物の収穫量は増えていきました。また、当時盛んに行われていた養蚕業に欠かせない桑の栽培にも有畜農業が取り入れられ、養豚農家が増えていきました。

 大正10(1921)年には「黒田養豚組合」を創立し、初代組合長を務めました。組合では、養豚技術向上の研修を行い、さらに、バークシャー種に強いこだわりを持つ五郎吉は、品質の向上にも努めました。大正12(1923)年に豚コレラが大流行した際には、予防接種で克服し、また第二次世界大戦末期の飼料不足の際には、山林を開き、自給飼料を確保するなど、バークシャー種の血統を絶やすことなく守り続けました。

 五郎吉が守り続けたバークシャー種は、全国的に普及し、戦後、フィリピン、ベトナム、台湾などに種豚として輸出され、外貨獲得に大きな役割を果たしました。

 昭和30年代には、全国の養豚農家で経済効率が追及され、発育や繁殖能力に優れる大型種が導入されました。中型のバークシャー種は大型種に比べ生産性が低く、他の生産地では途切れてしまったといわれます。

 しかし、黒田地区では現在もバークシャー種が飼育されています。その肉質は、筋繊維が細く、適度な歯ごたえと脂肪の甘さが特徴で多くの人々に愛されています。

 信念に従って養豚改良をはじめとした事業をやり遂げる剛毅な人物であり、黒田区長や花園村村会議員を任されるなど、地域の人々に厚く信頼された五郎吉は、昭和33(1958)年、73歳で亡くなりました。(『広報ふかや2017年2月号』より引用)

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