江森天壽(えもりてんじゅ)

更新日:2017年2月22日

生没年

1887(明治20)年―1925(大正14)年

解説

 江森天壽は、明治20(1887)年4月27日、幡羅郡東方村(現在の深谷市東方)に日本画家である江森天淵(えもりてんえん)の長男として生まれました。本名は誠(まこと)と言います。

 幼少の頃から父の手ほどきを受け、絵手本の模写を通して日本画を学び、画才を発揮しました。当時の模写からは、15・6歳とは思えないほどの見事な筆遣いがうかがえ、画才に秀でていた天壽の若き日の姿をしのぶことができます。

 明治39(1906)年、狭き門であった東京美術学校(現在の東京藝術大学)日本画選科に入学しました。天壽は特に花鳥画を得意とし、明治42(1909)年、第7回美術研精会展覧会での『夕の花』の受賞を皮切りに、数々の入選を重ねていきました。

 明治44(1911)年、東京美術学校の教授である荒木寛畝(あらきかんぽ)の読画会の画塾に入り、伝統的な花鳥画を新しい視点に立って創造するという指導の下で修業を重ね、読画会系の俊才として頭角を現していきました。

 翌年、第3回明治絵画展で『残紅(ざんこう)』が特選を受賞し、宮内庁に買い上げられます。これが天壽の出世作で、実質的な画壇へのデビューとなりました。その後は、文展(文部省美術展覧会)を中心に創作活動を続けます。

 大正4(1915)年、第9回文展に『桃』が初入選、第10回には『藤豆(ふじまめ)』や『鳳仙花(ほうせんか)』、第11回では、『向日葵(ひまわり)』や『葉鶏頭(はげいとう)』が連続入選し、若き画家の存在が注目を集めることになりました。『鳳仙花』、『向日葵』、『葉鶏頭』は、いずれも居宅周辺の身近な植物を写したものですが、天壽は目に映る自然の全てに対し、何も逃すまいとする視線を投げ掛け、その描線はまるでおのずと動く筆に身を委ねることを楽しんでいるかのようです。

 大正13(1924)年、皇太子殿下(昭和天皇)のご慶事に際しては、埼玉県の委嘱を受けて『菊花(きくか)』、『桐(きり)』を制作し、埼玉県大里郡教育会から宮中に献上される栄誉を与えられました。

 大正14(1925)年2月18日、天壽はこれから円熟期に向かって大きく期待されていた矢先に、39歳の若さで亡くなりました。(『広報ふかや2016年2月号』より引用)

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