飯塚敏子(いいづかとしこ)

更新日:2017年2月22日

生没年

1914(大正3)年―1991(平成3)年

解説

 飯塚敏子は、大正3(1914)年6月8日に東京都で生まれ、本名は敏(とし)と言います。深谷市江原出身の父親は、東京の新橋で旅館を営んでいました。

 敏子は文化学院女学部に進学しますが中退し、家事手伝いをしていました。その時に、婦人・女性誌『婦人公論』の美人投票企画で当選し、昭和5(1930)年、16歳で松竹キネマ蒲田撮影所に入社しました。

 翌年、日本映画界の巨匠となる小津安二郎監督の『淑女と髭(しゅくじょとひげ)』でデビューしました。その後、京都にあった松竹下加茂撮影所に移籍し、時代劇女優の道を歩み始めます。

 敏子は、当時『松竹下加茂三羽烏』と呼ばれ人気を集めていた時代劇スターの相手役をはじめ、映画『唐人お吉』で主演を演じるなど、女優としての地位を着実に築いていきます。また、昭和8(1933)年に発行された『キネマ旬報新年特別號』に掲載された『昭和7年日本映画総評』では、文句の付けようのない好演を高く評価されていました。敏子は、聡明な美しさでファンを魅了し、出演作品は100本を超え、戦前の時代劇映画を代表する女優の一人となりました。

 敏子は父の実家があった深谷市江原を訪れることもありました。敏子が人力車で帰郷すると、近隣の人々は人気映画女優となった敏子の姿を一目見ようと集まってきたと言われています。

 映画『世直し大明神』で共演し、世間から美男美女として人気を集めた坂東好太郎と敏子は、その後も共演を重ね、昭和10(1935)年に結婚しました。敏子は出産のため一時退社しますが、その後復帰し、『坂東好太郎一座』で舞台を中心に活躍しました。

 敏子は、平成3(1991)年12月14日、77歳で亡くなりました。名実ともにスター女優としての地位を築いた敏子ですが、出演した作品は、残念なことに多くが戦災で失われ、鑑賞できる機会が少なくなっています。(『広報ふかや2016年4月号』より引用)

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