菅井雲樵(すがいうんしょう)

更新日:2017年2月22日

生没年

1889(明治22)年―1975(昭和50)年

解説

 明治22(1889)年9月、兵庫県三原郡福良町(現南あわじ市)に生まれる。幼少の頃から画家をめざし、森脇雲溪(もりわきうんけい)、岸浪柳溪(きしなみりゅうけい)に師事し、日本画を学び、花鳥山水を得意とする。本名は、圭助、師の一字を頂き雲樵と号する。日本美術協会に所属し、戦前、旧満州国皇帝溥儀(ふぎ)来日の際、御前揮毫の栄光に浴する。秩父宮殿下が雲樵の絵を大変気に入り、数点買上げ、兄である昭和天皇にも献上された。大西洋を初めて飛行機で横断したリンドバーク来日の際、日本政府の名において雲樵の絵が贈呈された。

 大本山永平寺の傘松閣の天井には230枚もの花鳥彩色画が描かれており、そのうちの1枚「南天に白頭鳥」を雲樵が描いた。戦時中、夫妻で深谷へ疎開し、市内の寺で過ごした。また、皎心寺の天井には、複数の絵が描かれている。

 雲樵は、故里福良を懐かしみ、たびたび帰郷し旧知と語り合い、多くの絵を残した。慈眼寺庫裏の玄関に大きな衝立があり、表には富士の絵、裏に竹に雀の絵がある。

 昭和50(1975)年3月16日、家族、門弟に看取られながら東京で没した。享年87。

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