小倉常吉(おぐらつねきち)

更新日:2017年2月22日

生没年

1865(慶応元)年―1934(昭和9)年

解説

 小倉常吉は、慶応元(1865)年、武蔵国深谷宿(現在の深谷市深谷町)の商人、柴崎宗十郎の三男として生まれました。

 早くから常吉の才能を見込んでいた父の意思により、東京日本橋の油問屋の長谷部商店に修行のため、12歳で奉公に出されました。常吉が18歳の時に「長男は兵役を免れる」といううわさを信じた父の手配で、東京下谷御徒町で油類の小売りを営んでいた小倉伊助の養子となり「小倉」姓を名乗りました。父の期待通り、才覚を発揮した常吉は22歳で長谷部商店の支配人を務め、石油の将来性を確信し、奉公の傍ら、独学で石油の研究を積み重ねました。

 明治22(1889)年に25歳で独立し、燈火用、食用、化粧用の各種水油などを販売する小倉油店を開業しました。明治26(1893)年、越後石油の取引を開始し、翌年には新潟で火止石油の製造を始めました。明治31(1898)年に小倉石油店と改称し、植物油の商売を辞め、新潟や秋田での油田開発や石油販売などにより事業を拡大、大正14(1925)年には小倉石油株式会社を設立しました。

 第一次世界大戦後、世界的な原油供給量の増加と原油価格の下落傾向に着目した常吉は、原油の輸入を開始し、今日に続く輸入原油を国内で精製する方式の導入に成功しました。東洋一といわれた最新鋭設備を誇る横浜製油所や大島精油所、鶴見貯油所、タンカーも数隻持つなど、生産から販売まで一貫した経営体制を実現し、積極的な経営で会社を発展させ、「日本の石油王」と呼ばれました。

 常吉の残した小倉石油株式会社は、昭和16(1941)年、日本石油株式会社と合併し、現在はJXホールディングスに受け継がれています。

 常吉は、美術品の収集や文化の保護にも熱心で、隅田川の水害で壊滅状態となった向島百花園の復興、保護に尽力しました。また、深谷町に教育費として2万円(現在の価値で1億円以上)を寄付したほか、深谷商業学校(現在の深谷商業高等学校)をはじめとした多くの学校の建築や神社仏閣への援助など、社会事業、慈善事業に貢献しました。そして実家である柴崎家の菩提寺の東源寺(稲荷町地内)と終生親交を温めました。

 深谷と生涯縁を深めた常吉は、昭和9(1934)年、70歳で亡くなりました。(『広報ふかや2015年9月号』より引用)

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