茂木秋香(もてぎしゅうこう)

更新日:2017年2月22日

生没年

1863(文久3)年―1941(昭和16)年

解説

 茂木秋香は、文久3(1863)年、矢島村(現在の深谷市矢島)に生まれました。本名は信次郎で、秋香と号しました。秋香の生家は材木商を兼ねた農家で、他に藍玉や蚕種も販売する半農半商の豪農・裕福な家庭に育ちました。身長180センチメートル以上の堂々とした体格に、人情に厚く心温かい性格で、その人柄から大寄村長を務めました。

 秋香は父喜作(きさく)から俳句の基礎を教えられ、6才の頃からは熊谷に滞在した渡辺鴎舟(わたなべおうしゅう)に学問を学び、続いて下手計村(現在の深谷市下手計)の望月久知(もちづきひさとも)に漢籍を、上州碓氷郡水沼村(現在の群馬県高崎市)の名俳匠・下平可都三(しもだいらかつみ)の下で、本格的な俳諧の修業をしました。

 秋香は下平から30年もの間、厳しい指導を受け、豊かな才能を開花させました。全国各地の一流の俳人と交流するなど広く俳句に精通し、大宗匠としての地位を築き、多くの優れた門人を育てました。

 生涯を通じ松尾芭蕉(まつおばしょう)が大成した、『正風俳諧(しょうふうはいかい)』の道に精進しながら、深谷の美しい風景や自然などを数多くの俳句に詠み込みました。

 分かりやすく、あか抜けた句風で、昭和14(1939)年に発行の句集『草主露(そうろ)』には、577句が収められていますが、これは生涯に詠んだ句の一部に過ぎないと言われています。

 また、多才で尺八、浄瑠璃、俳画、書、連歌、菊花の栽培にも才能を見せ、地域の人々の依頼を受け、碑文を書いたり、独特の俳画を描いた作品を贈りました。秋香は昭和16(1941)年、79歳で亡くなりましたが、それらの作品は今も大切に収蔵され、その徳がしのばれています。

 源勝院(岡部地内)や寄居町玉淀堤には、秋香のために立てられた句碑があります。(『広報ふかや2015年10月号』より引用)

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