芳賀権四郎(はがごんしろう)

更新日:2017年2月22日

芳賀権四郎

勲記

生没年

1867(慶応3)年―1948(昭和23)年

解説

 芳賀権四郎は、慶応3(1867)年、榛沢郡岡部村(現在の深谷市岡部)に岡部藩士春名周輔の四男として生まれました。30歳の時に芳賀家の養子となり、芳賀家長女てつと結婚。以後芳賀姓を名乗ります。

 東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)を卒業し、農商務省技手などを経て、明治32(1899)年に横浜生糸検査所技師兼絹業試験所技師となります。その後、本省に戻り、農務局蚕糸課長に就任。大正8(1919)年に横浜生糸検査所長兼絹業試験所長に就任し、昭和11(1936)年までつとめました。

 明治維新後、日本の輸出貿易のうち、生糸の占める割合は年々増加しました。国家経済の成長につながる生糸輸出事業の重要性は大きく、生糸の増産と品質の向上は必須の要件でした。

 権四郎は、在職期間中、輸出生糸の品質と国際的信用の向上に力を注ぎました。その業績としては、蚕糸業の積極的な保護奨励を目的とした「蚕糸業法」の制定、生糸検査の任意検査から強制検査への改正、生糸の正量取引の実施を確立したことなどが挙げられます。中でも、昭和2(1927)年に権四郎の尽力により、「輸出生糸検査法」が制定されたことで、日本産生糸の品質が上がり、海外で高い評価を受けるようになりました。

 これらの功績が認められ、昭和11(1936)年に勲一等瑞宝章(現在の瑞宝大綬章)を受章し、正三位に叙されました。退官後も、昭和12(1937)年から7年間、帝国蚕糸倉庫株式会社社長として蚕糸業に携わり、生涯を蚕糸業の発展にささげました。

 その人柄は、剛毅果断、責任感が極めて強く、自分のことは犠牲にしてでも目的遂行に全力を尽くしました。一方、部下に対しては思いやり深く、その家庭にまで心を配り、常に部下の幸福を願い、部下もまた権四郎を父のように慕ったといいます。

 昭和23(1948)年3月31日、81歳で病没。その葬儀には官政界、蚕糸業関係者をはじめ、多数の市民が参列してその冥福を祈ったと伝わっています。(『広報ふかや2016年12月号』より引用)

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