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江戸時代

更新日:2014年4月17日

江戸時代

~中山道の宿場町 深谷宿~

徳川家康が江戸に入ると、深谷城と東方城に1万石の大名が配置されました。しかし、両城とも江戸時代の初めのうちに廃城となってしまいます。
その後、深谷は城下町としてではなく、宿場町として発展していくことになります。江戸時代に整備された5街道の一つ、中山道(なかせんどう)が通っていました。深谷宿は、江戸の日本橋から数えて10番目に当たり、当時の町並みを描いた絵画からは、その繁栄ぶりが伺えます。
また、中瀬は、利根川水運の河岸場として深谷宿をしのぐにぎわいを見せました。江戸時代の中ごろからは、地場産業の窯業や養蚕などが発展し、宿場には毎月5と10の日に市(六斎市)が立つようになりました。
岡部藩は安部摂津守が移封されたことに端を発します。江戸時代を通して存続して、幕末をむかえています。歴代藩主の墓が、安部家の菩提寺である源勝院に建てられました。
また秩父往還は、荒川の木材輸送などとともに栄えており、小前田、武川などが宿として形成されています。

旧深谷宿常夜燈(稲荷町)

旧深谷宿常夜燈(田所町)

こうして、深谷宿や中瀬河岸を中心に江戸文化が広がり、七夕や八坂神社の祭礼、村々では万作踊、獅子舞が盛んに行われました。七夕は、現在では毎年7月に中山道で開催され、大いににぎわいました。起源は、深谷宿の遊女の星祭りといわれています。

内ヶ島の万作踊り(段物:お半・長右衛門)

獅子舞(血洗島獅子舞)

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