文字サイズ変更

古墳時代・飛鳥、平安時代

更新日:2014年4月17日

古墳時代

~大規模集落の誕生と古墳~

古墳時代になると遺跡の数は増加して、361ヵ所で集落や古墳が見つかっています。特に後期(6世紀頃)には、市内各所で大規模な集落が営まれ、また古墳群が造られました。
集落は、自然堤防上に築かれ、周辺に田畑を開発したものと推定されます。初期の集落としては、妻沼低地に多く見られ、中期までその傾向が続きます。後期になると、荒川流域にも大規模な集落が営まれるようになります。
古墳は、前方後円墳が岡地内に築かれます。また、台地の縁辺には、小規模な古墳が密集する古墳群が多数造られました。鹿島古墳群、黒田古墳群、木の本古墳群などが現在も保存されています。
また、古墳に飾り立てる埴輪を焼くための割山埴輪窯跡(上野台)が見つかっています。6世紀中頃に創業していたもので馬や人物などの埴輪が焼かれ、川などを利用して、木の本古墳群などに運ばれました。  

木の本古墳群3号墳

割山埴輪窯跡(第7次調査)

飛鳥時代~平安時代

~郡役所による統治~

645年、飛鳥でクーデター(乙巳の変)が起こり、朝廷により中央集権化が推し進められました(大化の改新)。税制や行政組織などが改変され、その結果、現在の深谷市の区域は、東側が幡羅郡(はらぐん)の一部、西側が榛沢郡となり、荒川の南側は男衾郡の一部となりました。この時代の遺跡は252箇所で発見されています。
幡羅遺跡(東方)は、7世紀後半から10世紀前半まで存続した幡羅郡の役所跡と考えられています。現在、その調査が進められているところです。

幡羅郡役所、正倉跡と考えられる建物跡(第3次調査)

また、中宿遺跡(岡)は、榛沢郡の役所跡と考えられています。現在のところ埼玉県内で確認されている郡役所跡は、この2例のみです。
百済木遺跡(本田)からは豪族居宅と考えられる集落が見つかっており、古代男衾郡の中心となる地域であったと推定されています。

中宿古代倉庫

特集ページ

緑釉陶器、灰釉陶器(西浦北遺跡出土)国重要文化財

幡羅遺跡

お問い合わせ先

文化振興課
〒366-0823
埼玉県深谷市本住町17-3
電話:048-577-4501
ファクス:048-574-5861
メールフォームでのお問い合せはこちら