縄文時代・弥生時代

更新日:2023年03月27日

縄文時代

~台地での進展~

縄文時代になると、市内各地で人々が暮らしていた遺跡が280ヶ所見つかっています。竪穴住居を作り、定住を始めた時代で、縄文土器や各種石器に代表されます。

縄文時代草創期(約12,000年前)の遺跡として、西谷・水久保遺跡(針ヶ谷)、宮林遺跡(永田)など、早期(約8,000年前)の遺跡は、北坂遺跡(本郷)、四反歩遺跡(本田)など、前期(約6,000年前)の遺跡は、台耕地遺跡(黒田)、東光寺裏遺跡(後榛沢)などがあります。

中期(約5,000年前)になると、高台の水を利用しやすい土地を選んで、台地上に集落を営み始めます。台耕地遺跡(黒田)では環状集落が見つかり、他に小台遺跡(上野台)、上本田遺跡(本田)などが地域ごとの中心集落として出現します。

縄文時代後期(約4,000年前)になると、集落の分布が北部の妻沼低地へと移っていったことがうかがわれます。宮ヶ谷戸遺跡、上敷免遺跡などが挙げられます。

縄文時代晩期(約3,000年前)の遺跡は、土偶や耳飾りなどの祭祀遺物が出土し、原ヶ谷戸遺跡(岡)、上敷免遺跡、橋屋遺跡(小前田)などがあります。

尖頭器(東方城跡出土)

尖頭器(東方城跡出土)

縄文土器(上本田遺跡出土)

縄文土器(上本田遺跡出土)

竪穴住居跡(上本田遺跡)

竪穴住居跡(上本田遺跡)

竪穴住居跡(小台遺跡第7次調査)

竪穴住居跡(小台遺跡第7次調査)

弥生時代

~北部低地への進展・新たな文化の進入~

弥生時代になると、市内各地で人々が暮らしていた遺跡が35ヶ所見つかっています。

弥生時代前期(約2,300年前)のものとして、稲作の伝播を示す九州地方や東海地方の影響を持つ土器が、上敷免遺跡、畠山館跡で見つかります。

弥生時代中期(約2,100年前)の遺跡として、再葬墓や住居跡(上敷免遺跡・宮ヶ谷戸遺跡)が発見されています。住居跡はいずれも2~3軒が寄り添うような形で見つかり、小さな集落を形成していたようです。水田跡などは発見されていませんが、上敷免遺跡や宮ヶ谷戸遺跡近辺では稲作を行っていたものと考えられます。

弥生時代後期(約1,800年前)のものとして、集落跡が白草遺跡(本田)や明戸東遺跡で見つかっています。中期までの集落と比べてやや大きなまとまりとなりますが、次の古墳時代と比べればまだごく小規模な集落といえます。

再葬墓跡(上敷免遺跡)

再葬墓跡(上敷免遺跡)

吉ヶ谷式土器(白草遺跡出土)

吉ヶ谷式土器(白草遺跡出土)

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