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富岡製糸場図大絵馬の指定について

更新日:2014年4月17日

(平成17年12月1日現在)

深谷市の歴史と文化財

 深谷市教育委員会は、平成17年11月3日付けで、深谷市文化財保護条例第4条第1項の規定に基づき「富岡製糸場図大絵馬」を深谷市指定文化財に指定しました。
  指定に当たっては深谷市文化財保護審議会に意見を諮ったところ、平成17年11月1日付けで指定が妥当とする旨の答申を受けました。

富岡製糸場図大絵馬

名称 富岡製糸場図大絵馬(とみおかせいしじょうずおおえま)
員数 1面
所在地 深谷市田谷字南速道309番地
所有者 永明稲荷神社
種類 有形文化財
種別 歴史資料
品質及び形状 板絵着色縦9枚板
寸法 縦178.5センチメートル横107センチメートル(内寸縦161センチメートル横89.5センチメートル)

指定基準:市域の歴史上重要な人物に関する遺品のうち学術的価値の高いもの

資料について

韮塚直次郎

 この大絵馬は、明治13年(1880年)、韮塚直次郎が、官営富岡製糸場の完成したことを謝恩するために永明稲荷神社(深谷市田谷)に奉納したものです。

 韮塚直次郎は、現在の深谷市明戸(あけと)出身で、明治4年(1871年)富岡製糸場の建設にあたり、同じく深谷市出身の初代場長の尾高惇忠の下で御用達となり、瓦、煉瓦の製造一切を請け負いました。
  製糸場の建設には、当時まだ新しい建材であった煉瓦が大量に必要でしたが、瓦製造を行っていた福島(現・甘楽町)に窯をつくり、地元の瓦職人に加えて、郷里から多くの瓦工を呼び寄せて製造にあたりました。
  また、煉瓦を積むのに必要なセメントがなかったため、日本に従来からあった漆喰を用いるなど独自の苦心を重ね、製糸場を建設することができました。

 韮塚直次郎

韮塚は、明治8年、煉瓦を焼成した窯のそばにある笹森稲荷神社にも同様の大絵馬を奉納しています。

官営富岡製糸場の全景

大絵馬の中央を占めるのは、官営富岡製糸場の全景です。単純化された白い雲か霞がそれを囲んでいます。雲の間、右側と前側には当時の富岡の町並みが、背景にはわずかに南を流れる鏑川と山並みが描かれています。
主要な建物には、「蒸気鑵(かん)」「東繭置所」「繰糸所」の名称が添えられています。煙突を中心とした各建物の配置がよくわかります。煉瓦に瓦、さらに構造物も細かく描き込まれ、長年、神社境内に掲げられていたにかかわらず色もよく残されています。
また、場内には、人物や馬などが多数行き交う様子が描かれていますが、残念ながら多くは剥落しています。

この大絵馬の基になったものかは明らかではありませんが、当時、似た構図での全景の浮世絵が作成されたことが知られます。

                                                                                            (上)部分:中央部

東繭置所のキーストーン

全体を眺めて感じられることは、統一された透視図法で描かれていないことです。全体は、日本の伝統的な各線を平行とする透視図法(斜投象)を基に描かれていますが、部分的には西洋的な透視図法(線遠近法)で描かれていると考えられます。また、それぞれの部分の遠近法の消点は統一されていません。
明治8年に笹森稲荷神社に奉納した大絵馬では日本的な透視図法で統一され描かれています。それに対し、5年後に描かれたこの大絵馬では、何かの意図をもって描き方を変えたのか、西洋的な遠近法を用いようとしたのか興味深いところです。
なお、韮塚がこの大絵馬をなぜ出身の明戸村でなく、当時田谷村の神社に奉納したのかは、まだわかっていません。

(上)部分:東繭置所のキーストーン

東繭置所のキーストーンに彫られた「明治5年」の文字を模して書かれています。

画題部

(右)部分:画題部

「上野国甘楽郡富岡製糸所之図
明治十三年第七月吉日」

韮塚直次郎署名

(上)部分:韮塚直次郎署名

「武蔵国幡羅郡明戸村韮塚直次郎」

画家署名

(上)部分:画家署名

「小璧真写」と読めます

このページで掲載している韮塚直次郎の肖像画像は、「まなびねっとぐんま」(下記リンクご参照)中「ぐんまの歴史」(下記リンクご参照)に掲載されているものを使用しました。

「まなびねっとぐんま」

「ぐんまの歴史」

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