北川千代の年表

更新日:2014年3月3日

北川千代の年表
西暦 千代の歳 内容
1894年(明治27)  
  • 大寄村の日本煉瓦会社工場内の社宅に工場長の長女として生まれる
  • 物質的に豊かで恵まれた子供時代を過ごす
  • 大寄小学校に通う(作品「雪の日」に小学校時代の千代がしのばれる)
1905年(明治38) 11歳
  • 東京の有名女学校である私立三輪田高等女学校に入学
  • この頃から父が病気のため工場から身を引き、一家で東京に暮らし、夏には軽井沢の別荘へ避暑に行く
1908~1913年(明治41~大正2) 14~19歳
  • 病気のために3年で女学校を途中退学する
  • この前後から『少女世界』『少女の友』など、雑誌に投稿する
1915年(大正4) 21歳
  • 江口渙と結婚(両親の反対を押し切り一緒になる)
1917年(大正6) 23歳
  • 母病没、このすぐ後に父も病没(以後千代は5人の弟妹の面倒をみることとなる)
1919年(大正8) 25歳
  • 童話雑誌『赤い鳥』に「世界同盟」を発表(これにより編集長の鈴木三重吉に期待され「毎月だってかまいません」と原稿を依頼される)
1921年(大正10) 27歳
  • 日本で最初の婦人社会主義団体「赤瀾会」へ加入
1922年(大正11) 28歳
  • 江口渙と離婚
  • 後に高野松太郎と同棲を始める
1923年(大正12) 29歳
  • 三河島で暮らし娼婦廃業支援を行う
  • 関東大震災が起こり、この騒ぎに乗じた社会主義者弾圧により高野の身辺危険のため関西に身を隠す
1924年(大正13) 30歳
  • 千代の文筆業が軌道にのりはじめる
1932年(昭和7) 39歳
  • 結婚生活満10年記念として高野と千代の婚姻届を提出
1940年(昭和15) 46歳
  • 千葉県山武郡蓮沼村に与謝野鉄幹・晶子夫婦所有の大きな汐入の池つきの家を買い、東京の家と往復する(土地の子供から「生けすのおばさん」と呼ばれる)
1943年(昭和18) 49歳
  • 松太郎が、狭心症のため蓮沼村の家にて死去
1949年(昭和24) 55歳
  • かわいがっていた甥と養子縁組を行い、翌年養子とする
1959年(昭和34) 65歳
  • 児童文芸家協会より第6回児童文化功労賞を受ける
1964年(昭和39) 70歳
  • 蓮沼村の加瀬家より女の子と養子縁組する
1965年(昭和40) 71歳
  • 発病し入院(見舞いの際「まだ仕事をするよ。だから、右腕に注射はしないんだよ」と周囲に語ったという)
  • 10月14日永眠
    『菊に埋もるみ顔もまた菊のごとし』 と追悼句に詠まれた
1969年(昭和44)  
  • 日本児童文学者協会が、少女小説の開拓者である北川千代の業績を記念し、新人の登竜門としての「北川千代賞」を設定する

 

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