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大正5年頃 |
誠之堂〜田辺淳吉〜たなべ じゅんきち(1879−1926) |
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田辺淳吉は、明治36年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、「清水組(現清水建設株式会社)」に入り、当時、技師長として数多くの建築家を育てる一方、晩香廬(1917)、青淵文庫(ともに東京北区、渋沢資料館)など、多くの栄一に関わる建物の設計に携わりました。 明治42、43年に欧米を視察し、当時の新しい建築界の潮流、特にウィーン・ゼツェッションに強い影響を受けました。芸術的志向が強く、繊細な端正な設計を得意とし、大正建築の名手ともゼツェッションの旗手ともいわれました。特に誠之堂などの小規模な作品に本領が見られます。 田辺自身は、誠之堂の設計にあたって「取りたてていえば、凝らない工夫をした・・・いわゆる上等仕事として歓迎されている技巧のすべてを除いた」という旨を述べています。 |
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清風亭〜西村好時〜にしむら よしとき(1886−1961) |
(資料提供:清水建設株式会社) |
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西村好時は、明治45年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業後、田辺淳吉の推挙で清水組に入り、田辺の片腕となって活躍した後、第一銀行に移り建築課長に就任しました。 西村自身は、清風亭の設計にあたって「南欧田園趣味を採用し、これを近代的な手法で建て、清楚な気分を表現することに努力した」という旨を述べています。 |
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