レンガを活かしたまちづくり

渋沢栄一は明治20年、深谷に日本煉瓦製造会社を設立。生産されたレンガは、東京駅、赤坂離宮などに使われました。市では、「レンガのまち深谷」をPRするため、JR深谷駅、深谷市総合体育館などにレンガを取り入れています。
赤レンガの色合いは深谷の風景に合う
深谷のまちを歩いていると、レンガ造りの建物が目につきます。赤茶色のザラっとした感触のもたらす温もりの中にも、どこかノスタルジックな哀愁のあるレンガの持ち味は、落ち着いた深谷のまち並みによく似合います。
深谷市では、渋沢栄一翁の感性と情熱を継承し、市民が誇れる美しいまち、次代に引き継がれる個性豊かなまちをつくるため、JR深谷駅舎をはじめ、深谷市総合体育館(深谷ビッグタートル)や深谷グリーンパーク、渋沢栄一記念館など、レンガを使用した施設づくりを行っています。
これら「渋沢栄一翁の顕彰とレンガを活かしたまちづくり」事業は、平成6年埼玉県の「ふるさと彩の国づくりモデル賞」を受賞しました。住む人、訪れる人が感動するまち。深谷市は「レンガのまち深谷」として新たな歴史を刻み始めています。


〔写真左:JR深谷駅/右:深谷グリーンパーク〕
深谷のレンガ史を物語る記念施設
”レンガのまち深谷”のレンガ史は、渋沢栄一翁が明治20年につくった日本煉瓦製造会社の工場に始まります。
日本煉瓦製造会社の工場は、ドイツ人技師チーゼを招いて操業を始めました。チーゼとその令嬢の住宅として建てられた木造洋館は事務所としても活用され、現在は「旧事務所」という名称で、ホフマン輪窯(わがま)6号窯などとともに国の重要文化財(近代化遺産)に指定されています。
現存するホフマン輪窯6号窯は、ドイツ人ホフマン考案の煉瓦焼成窯(明治40年建造)で、月産65万個の製造能力を持っていました。
この工場でつくられたレンガは、明治時代の代表的レンガ建築である、司法省(現法務省)・日本銀行・東京裁判所・東京商業会議所・赤坂離宮・警視庁・三菱第1号館・慶應義塾大学図書館・東京大学・東京駅などに使われました。
また、ここで製造したレンガを輸送するため、工場から深谷駅まで4.2Kmにわたって引き込み線が敷設されましたが、途中の福川に架けられた鉄橋はポーナル型プレートガーダー橋として現存する日本最古(明治28年)のもので、現在も大切に移設保存されています。
深谷市では、この日本煉瓦製造会社の設立をはじめ、日本近代産業の指導者であった渋沢栄一翁の功績を顕彰するため、翁の生地に近い八基(やつもと)公民館内に「青淵記念館」を、また、下手計(しもてばか)に「渋沢栄一記念館」を設置し、翁の肉声テープをはじめ、多くの資料を展示しています。
※日本煉瓦製造株式会社の工場は、平成18年6月に操業を停止したため、現在は見学できません。




〔写真左:ホフマン輪窯6号窯/中左:旧事務所(日本煉瓦史料館)/中右:渋沢栄一記念館/右:プレートガーダー橋〕
