正倉院

更新日:2023年03月27日

正倉院

 正倉は、税として納められた主に稲(頴穀)を収納保管した公的な倉庫です。幡羅遺跡では、飛鳥時代の終わりの7世紀末頃に造営が行われ、10世紀前半頃に廃絶したと考えられます。

 稲の収納形態は、稲穂を束にしたもの(頴)、脱穀した籾(穀)の2種類があります。正倉が建ち並ぶ敷地は溝などで区画され、区画された敷地全体を正倉院と呼びます。ここに収められた頴穀は、備蓄のためや公的な支出、出挙という貸付に用いられたり、飢餓や疫病が発生した時には賑給という貧民救済のための支出に用いられました。

 幡羅遺跡で確認された倉庫跡は、ほとんどが高床式倉庫跡で、わずかに屋と呼ばれる収納施設があります。

 建物の基礎構造には、掘立柱建と礎石建があります。掘立柱建は日本古来の建築法で、多くの建物に用いられますが、柱が根腐れしやすいという欠点があります。一方、礎石建は寺院建築と共に入ってきた構造で、重量を支えるのに適し、耐久性があります。地面を掘り窪め、不動沈下を防いでいます。8世紀末頃になると、幡羅遺跡の正倉の多くは礎石建に建て替えられます。

建ち並ぶ正倉跡

建ち並ぶ正倉跡。約250年の間に5回建て替えられたため、建物跡は重なり合っています。

正倉院の区画溝

正倉院の区画溝

礎石建の倉庫跡(掘込地業)

礎石建の倉庫跡(掘込地業)

掘立柱建物から礎石建物(壺地業)へ建て替えられた倉庫跡。

掘立柱建物から礎石建物(壺地業)へ建て替えられた倉庫跡。

「神火」

 8世紀後半以降、東国を中心とする各地で正倉火災の記事が多くみられます。「神火」と呼ばれることが多く、当初は神による祟りと理解されていました。しかし多くの場合、実態は税の虚納を隠蔽する目的や権力抗争による放火であったと考えられています。

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