幡羅遺跡の概要

更新日:2023年03月27日

 幡羅(はら)遺跡は、熊谷市との境付近に位置し、東西約500メートル、南北約400メートルの範囲をもつ、古代幡羅郡家(郡役所)跡です。その南や西には集落が広がっていました。また、熊谷市側には、寺院跡や祭祀跡があります。郡家の景観を非常に良く残した遺跡です。

 遺跡は平成13年に確認されました。7世紀後半になって、それまで古墳が造られていた台地の先端部に、突如として出現します。当初、竪穴建物が分布する中に小規模な倉庫などの掘立柱建物が分散して建てられます。7世紀末頃になると様相は一変し、工房や厨房施設など一部を除いて竪穴建物は遺跡の南部、西部に集約され、郡家域や集落域は分離していきます。郡家域には、正倉・館・厨家・曹司・道路などが整備され、未確認ですが、郡庁も同時期に造営されたものと思われます。旧地形は現在以上に起伏があったと思われ、郡家の建物は、比較的高い場所を選んで建てられています。

 遺跡の中央には、路面幅約8メートルの道路が斜め方向に走り、その北西に正倉院、南東に実務的な官衙施設が造られます。正倉院は8世紀末頃に礎石建物への建て替えや敷地の拡張が行われ、10世紀前半或いは中頃に廃絶し、10世紀後半には集落化していきます。また、実務官衙域の東には西別府廃寺跡があり、寺院は郡家が整備されるのとほぼ同じ時期に造営されています。郡家近くに寺院が造営される例は各地で見られますが、公的な寺院ではなく、郡領層の氏寺的な性格を持っていたと考えられます。

 9世紀後半になると、建物ブロックが複数あった実務官衙域には、二重溝と土塁による区画施設が造られ、郡家の構造が大きく変化します。この区画施設は、正倉廃絶後の11世紀前半まで存続していたと推定されます。

遺跡全景
幡羅遺跡図面

地図情報

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