市民がつくり 市民が守り育てる 市民の森

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場内ガイド(2022年1月~11月)

更新日:2022年11月11日

櫛引の大地に広がる、市民の憩いの森、ふかや緑の王国。

そこは四季折々の自然、数多くの草木や花々に包まれる普段とはちょっと違った時間の流れる落ち着いた空間です。

自然の豊かさに触れ、失いかけていた日常を取り戻したり、小さな子どもと一緒に芝生を駆け回ったり、ボランティアさんの整備するいくつものガーデンを経巡って、新たな花の知識を増やしたり・・・ 過ごし方は人さまざま。

このページでは、そんな緑の王国に、今どういった花が咲いているのか、どのような風景が広がっているのかを、気まぐれにお伝えしたいと思います。

随筆「ずれずれ草」(11月9日)

(下)ダリアガッツァリア フローラガーデン

ダリアガッツァリア

スノードロップ

スノードロップ 花仲間ガーデン

銅像にされる気持ち

出かけた先で誰かの銅像やブロンズ像を見つけると、ついそばへ行って誰のものか確かめたくなるクセがある。全身像だったり胸像だったりする。台座には必ず銘板が取り付けられていて、像の主の名前を明らかにしている。都市の主要な駅前にある銅像は、大体その地の生んだ「郷土の偉人」の像だ。その街のエントランスにあたる場所だから精一杯宣伝したいのだろう。大河ドラマの主人公になったり紙幣の額面に採用されたりと時流に乗れば、足を留め写真に撮る人も多くなるが、そうでなければハトたちのお休みどころとなってしまうのが定番のお約束だ。おまけに白い落し物までつけられている。それでも文句一つ言わずにじっとしているので偉い。私は自分の見たままを率直に書いているだけで、別に誰の銅像のことを言っているわけでもない。

文化的な公共施設にある銅像だと、建設資金の提供に貢献したとかどうとかこうとか、何かしら影ながら尽力した人が銅像にさせられていることが多い。そういう人だと必ずしも世間的に名が知れ渡っているわけではないので、一瞥して「へえ」と思って次の瞬間には誰だか忘れてしまうものだ。上野の東京都文化会館の入り口脇にもそういうおじさんの胸像があるが、何度見ても名前が覚えられない。ところで銅像と実際のモデルはどこまで似ているのだろうか。同じく上野の山にある西郷隆盛像は「どうやら本人の姿を正確に再現していないらしい」ことで知られている。何せ除幕式に立ち会った西郷未亡人が「ウチの人はこんな風じゃなかった」とつい口走ってしまったというのだから。話によると西郷という人は顔写真が全く残っていないとのことで、現在西郷の肖像としてよく知られている絵も、弟の西郷従道といとこの大山巌の顔をかけ合せて描いたものらしい。イノブタみたいなものか。似ていない西郷像を見た親族は「こんなものがいつまでも残ってしまうなんてイヤだ」と思ったかもしれないが、残念ながら上野の西郷像は関東大震災も太平洋戦争も乗り越え今も健在である。99年前の大震災の時は、行方不明者を探す親族が作ったビラの格好の貼り場所になったそうだ。ヘタに残っても受難である。「三匹のこぶた」の話は、オオカミに吹かれても飛ばないレンガの家を作った三番目がエライという文脈でのみ語られがちだが、常に何もかもが残らなくたっていいのである。殊に似ていない銅像なら残らない方が後世のためだ。似ていなくともそれで構わないというのなら、いっそのこと顔なんかへのへのもへじでいいではないか。(下に続く)

 

(下)ブータンルリマツリ クレマチスガーデン

ブータンルリマツリ

ヤマラッキョウ

ヤマラッキョウ 山野草ガーデン

下はクレマチスジングルベル クレマチスガーデン

  • クレマチスジングルベル

そんなことを思いながら、最近昼休みを使って読破を試みている臼井吉見『安曇野』(第二巻)を読んでいると、登場人物の荻原守衛(碌山の号で知られる彫刻家)が他の誰かとまさにあの西郷像の話をしている場面にさしかかった。文中からは、当時からあの西郷は似ていないという風評が専らだったと読み取れる。しかも犬を連れているのがなおいけないという。俗っぽいといったことらしい。だが荻原守衛は、あの西郷さんは似ているかいないかはさておいて、西郷さんという人の風格をよく再現しているからそれでいいのだと言う。むしろ、本人そっくりに彫られていても、生気のかけらも感じられない像のなんと多いことか。それに比べれば、あの西郷像は西郷本人とは多少違ったとしても、彼が生前持っていた存在感や魅力を放っているのだから十分なのだと言うのである。これは荻原守衛がパリでロダンの薫陶を受けたことから得た考えらしい。確かにロダンも、その当人とは必ずしも似てはいないが、その人物が持っていた(とロダンが解釈した)強烈なパワーを発散する人物像が多い。私は荻原守衛の言うところを読んで、そんなものかと思ったが、それほど共感はしなかった。大体私はロダンの彫刻を好まない。ブールデルの方がいい。

 ところで私はよく不思議に思うのだが、銅像にされるような人は自分の顔かたちや身体が、銅色やブロンズ色一色で表現されることに不快感を覚えないのだろうか。当たり前の話だが、あれは人間の肌の色ではない。だから完成した像を見て、「オレはこんな肌の色じゃない」と怒り出す人がいても無理はない。それではそもそも銅像なんか作るなという話にしかならないだろうが、銅像にされる心理というものに私はある種の不感症の存在を感じるのである。そう言えば以前、清朝末期の実力者・西太后に仕えた侍女の手記を読んだ時、面白い逸話があった。西洋画法を学んだある画家が、西太后の肖像画を描いたのだが、彼女は自分の顔が部分的に黒く塗られていることにどうしても納得しなかったそうだ。これは当然ポーズの角度によって顔に陰影がつくから黒で塗られるのだが、東洋画では存在しない技法であることは言うまでもない。私にはこの西太后の反応はごく自然に思える。初めてあのような描き方を見れば、「よく似ている」と思うだろうが「なぜ黒くもない顔を黒く塗るのか」とも感じるのではないか。もっとも「ドラゴン・レディ」と呼ばれた希代の権力の鬼であった彼女が、あたかも自分の顔に泥を塗られているように感じプライドを損ねたためにケチをつけただけと考えられなくもないが。

銅は銅の色、ブロンズはブロンズの色。それ以外になりようはないし、上から肌色を塗ったところで何もならないのは言うまでもないことだが、もし誰かが生きている最中に銅像にされることになって、完成作を目の当たりにすることになったとしたら、その人は何か大きな妥協を強いられているのだと私には思える。「いつまでも残ること」と引き換えに「本来の肌の色」を。

それは何の味なのか

 小説にしろ俳句や短歌にしろ、何らかの形式で書き表されたものが、作者が体験したり経験したりした出来事そのままを再現している、ということは滅多にない。ありえないと言ってもいいだろう。そのまま書くのではつまらないから面白く脚色したり、起きた出来事の順番を並び替えて再構成したりすることもある。あるいはそのまま書くことには自分以外の誰かにはばかりがあるから事実をぼかしたり、あまりにも細かい部分は忘れてしまっているから書き飛ばしたり、「こうだった気がする」とイメージで穴埋めしていることもあるだろう。つまりは作り物なのである。日記だってそうだ。日記とは自分がその日経験したことをありのまま書くものなのかもしれないが、実際には本当に書いておきたいことだけを取捨選択しているのである。二十四時間全部を書くことが不可能なのは当たり前だし、その日何回トイレに行ったとか、湯船に入る時に右足と左足どちらが先だったかなんて誰も書きはしない。だから日記ほど不誠実な記録はないということもできよう。だとしたら、言わば「人類の日記」とも言えよう「歴史」という代物も、矢張り起きた出来事全てが書かれていると考えることはできない。よく言われることだが、「歴史とは常に勝者の歴史」なのであって、敗北した者の記録はおおむね勝者によって破壊されてしまうか勝者にとって都合よく書き換えられてしまうから、正確なところはほとんど残らない。学校で習う「歴史」というのは、「あくまで一つのストーリー」と割り切って接した方が賢明なのかもしれない。(下に続く)

 

(下)ツワブキ ロックガーデン

ツワブキ

リンドウ

リンドウ 花仲間ガーデン

下はキチジョウソウ 花仲間ガーデン

  • キチジョウソウ

歴史はともかくとして、ここに「脚色された」短歌作品を一つ挙げたい。

 

「この味がいいね」と君がいったから七月六日はサラダ記念日

 

俵万智のとてもよく知られた作品だが、これには重大な「脚色」が二つある。まず「七月六日」ではなかったそうだ。そして「サラダ」ではなく実際は「カレー味のからあげ」だったという。これは俵万智本人が言っている。いつだったか忘れたが、読売新聞の記事で読んだので確かな話だ。

 「七月六日」が実際は何月何日で、なぜこの七夕前日の日付に書き換えられたのかはよくわからないが、少なくとも「カレー味のからあげ」では歌にならなかっただろうことはよくわかる。これを「サラダ」と置き換えたことは、かなり大胆かつ当を得た推敲だったと思える。「サラダ記念日」というのはメーカーの宣伝文句にもなりそうな軽やかさがあるし、カタカナ+漢字というのもこの作品が生まれた80年代バブル期の、「何でもオシャレになってしまう」軽佻な時代の空気感を物語っていると感じられる。色彩感覚の点からも、茶色っぽいからあげと緑黄色入り混じるサラダではどちらが彩り豊かで華があるか一目瞭然だ。読めば読むほど「サラダ記念日」以外の言葉の選択はありえないと思えてしまうから不思議である。誰でも作れそうだが、実は卓越した言葉選びの技術が息づいている作品なのだ。

 しかし私は思うのだが、「サラダの味」とは結局何の味なのだろうか。これは端的に言って「ドレッシングの味」なのではないか。としたらこの短歌は、「今日の(愛妻)弁当何が一番美味しかった??」「うん、小さいスパゲッティ」「それ冷凍食品なんだけど・・・」というありがちの会話の背後に隠れた「猛烈にモノ申したい」感を持っている一句(?)なのだろうか。いや、作者はドレッシングづくりが趣味でその出来栄えを褒められたから「記念日星人」モードを発動してしまったのか・・・。

 単純なだけに、何か引っかかる短歌なのである。

 

語られざる俳人・10(10月23日)

(下)アキチョウジ

アキチョウジ

クフェア

クフェア(クサミソハギ)

「やあ、これはこれはどうも。いつぞやはずいぶん長いことお電話しましたね。それにしても文字さんがあなたのところへ行ったと聞いた時には驚きましたよ。あの人、ああ見えても結構シャイで自分からはロクに話しかけないような人でしてね。私なんか初対面の時、無言で頭のてっぺんから爪先までジロオオッとねめ回されたもんですよ。試しに心の中で数えておりましたが、きっかり4分と37秒でした。ああやって誰かに凝視されるごとにお腹の無駄な肉が減っていけばいいもんだと感じたのをよく覚えていますよ。

 それからこれは業者の立場として顧客のあなたにお詫びしておかなくてはならないことでして。というのはとりもなおさず一応は外部の人間である文字さんに、私どもと取引関係、つまり古書を売り買いした関係になるあなたの住所の情報が洩れてしまったことですね。

 

(下)コスモス

コスモス

キジョウロウホトトギス

キジョウロウホトトギス

何で文字さんがあなたの住まいの場所を知り得たのだろうか、と文字さんがこの間来た後で考えたんですが、その時目の前のパソコンを改めて見直して、思わず額をピシャリと打ちましたね。ああ痛かった。実は「最優先対応すべき顧客(九段下ノート)」としてあなたのお名前とお住まいが書かれたポスト・イットが、画面の脇に貼りつけられたままなのをうっかり忘れておったのですよ。あれはいつだったか、あの人が珍しく私の好物の京都銘菓、アジャリ餅を手土産に持って来た時、私がそれを貪り食っている間にサッと見て記憶したんでしょうな。文字さんはやたら記憶力がいいそうでしてね。暗記が得意というより一度見た光景をそのまま画像として記憶できるんだそうで。ちょうど頭の中にカメラを持っていて、それで一回パシャリと撮ればもう忘れないんだと言っていましたな。車で走っていると30分の間に対向車線をすれ違っていった車のナンバーを全部記憶できるとか妙な特技も持っているそうでしてね。こんなことをできるのは中国の首相の李克強とオレだけだと豪語していたこともありました。

 サテ、そんなことはどうでもよいとして、ではこちらのノートですね。確かに私どもの方でまた所持することにいたしましょう。お、「所持」なんて文章語を会話の中で使えるようになったとは、私のオツムのレベルもいく分かバージョン・アップしたようだ。ナハハハハハ・・・。」

 相変わらずこちらに口をはさませる暇もなく話し続けるのは、そもそもこの一連の物語(と呼べるほどのものでもない出来事)の発端を作った男、マスジマである。文字氏がポルトガル語で別れを告げてからさらに3日後、文字氏の言っていた通り、本当にマスジマ本人が私の元に現れた。

 

(下)タイワンホトトギス

タイワンホトトギス

カッコウアザミ

カッコウアザミ

マスジマの実物はちぢれ髪に血色のいい丸顔、胴体に比して不調和に大きい臀部を持ったビーカーのような体型で、内心予想通りの人間が来たと思ったものだ。

 件のノートを渡すと、どこか嬉々とした様子である。生き別れの兄弟と再会した喜びを演技している三文役者のように見えたが、そこには「自分はこのノートを手にしても何事も起こらない」というひそやかな自負も含まれているように思われた。

 ノートさえ渡せばもう用はない。私もこれから出かけるので、とまだ雑談を続けたそうなマスジマを制して早々に引き取ってもらった。

 「それでは失礼しますよ。また本をお探しの際にはぜひ私どもをお忘れなく。もちろん今度からは注文された商品「だけ」を間違いなくお送りしますからね。」

 ノートを手に、マスジマは鼻歌まじりに去っていった。歩く彼の後ろ姿は、実験室の化学者がビーカーの中の液体を混合させるため、それを左右に振るあの動作を私に連想させた。

 

(下)リンドウ

リンドウ

ヤマラッキョウ

ヤマラッキョウ(つぼみの状態)

こうして私を様々に翻弄した九段下道裕の「句帖」ノートは、送られてきた場所に「里帰り」することとなった。結局それが一番いいのだと思った。そうは言ってもひとつ、私には気がかりなことがあったのだ。というのもノートの最終ページに、こういう句が書かれていたのである。

 

人はねし後の月日や彼岸花

 

 車でということなのだろうか、人をはねてしまった後の、加害者の立場を想って作られた句と思える。そういう立場になると、しばしばその人の人生は「終わった」などとあっさり言われてしまいがちだが、それは無責任な傍観者の言であって、そう簡単に終わりはしない。どういう形であれ生きている限りは続いていく。とはいえ、何ともぞっとしない句だと思った。ことに季語である「彼岸花」という下の五句に不吉さがある。どうもあの赤い花は墓場という場所と切り離して考えることができない。この句を見てしまった時から、実は道を歩く時に細心の注意を払ってきたのだが、こうしてノートが私の所有でなくなったからには、たぶん何も起こりはしないだろう。

 私は久し振りにどこか清々しい気持ちになった。ふと振り仰いだ空には、雲ひとつ浮かんでいなかった。

 

(下)ジャコウソウ

ジャコウソウ

ダリア
シクラメンへデリフォリウム

シクラメンヘデリフォリウム

翌日、新聞を見ていると、こんな記事が小さく載っていた。

 

男性 自動車にはねられ重傷

 

昨日午後5時過ぎ、長野市在住の古書販売業スタッフ、増島金次さん(36)が、市道を歩行中、後ろから走行してきた普通乗用車にはねられた。増島さんは近くの病院に運ばれたが、臀部や臀部などを強く打って全治2ヶ月の重傷とのこと。警察では乗用車を運転していた経営者男性(39)と同乗していた秘書の女性(28)に事情を聞いている。男性の経営する会社は資金繰りが悪化しており、その対策のため残された数少ない心当たりへ向かう途中だったという。なお増島さんは搬送される間中、「ノートが、ノートが」と親の仇のように呟いていたとのことだが、現場からはそのようなものは一切見つかっていない。

 

(おわり)

 

【参考文献】

(省略)

 

【追記】

 先日、珍しくテレビのニュース番組を見ていて驚愕したのだが、「文字」という名字の人は現実に存在するらしい。作者としてはオリジナリティあるフィクションとして「創造」したつもりでいたのだが、現実の方が上手であった。無念なことである。木魚でも買おうか。もっとも実在する「文字」さんの名前がどういう読み方をするかは知らない。

語られざる俳人・9(9月19日)

(下)オオモクゲンジ スモークツリーガーデン

オオモクゲンジ

ナンバンギセル

ナンバンギセル スモークツリーガーデン

文字氏の視線の先には、彼が訪ねて来るまで私も注目していた一句があった。

 

からたちや嫌いな奴はトゲで刺す

 

 「私は俳句というものにはほとんど興味がないですがね。要するに何を言っているのかよくわからないし、解説なんか読んでも「ヘエ」と言っておしまいですな。ところが私のおやじというのがちょっとした俳人でしてね。もうずいぶん前のことですが、ナントカいう賞に入賞した時の句をわざわざ手拭に染めたものを親族に配ったりしたんですよ。確かここにあった気がしたな。」

 文字氏はあちこち探った末、着ていたジャケットの胸ポケットから一枚の布を引っ張り出した。

 「なぜかこんなところにあった。ホラ、これですよ。」

 文字氏が広げた手拭は、意外にもちゃんとアイロンをかけられているようで、折り目が走るほか皺一つなかった。ベースは藍色。そこに白字で

 

星月夜牛小屋で待つ降誕祭

 

 と書かれていた。

 「降誕祭、というのはクリスマスのことですな。要するに、周知の通りイエス・キリストが馬小屋で生まれたという例の伝説というか神話を下敷きにしているようですが、今の時代まさか家畜のいる隣でお産なんかするわけがないし、東方三博士なんか待っていたって来るわけがないし、まあ何とも言えない句ですね。それにしてもちょっと初心者を離れると、俳句よみはすぐこういうものを作るようになり、しかも玄人からは案外評価されてしまうんで、たまあに新聞の俳句欄なんか見てると木魚でも叩き始めたくなりますわな。誰のために何のために作ってるのだかわかりゃあしない。要するに山といえば川と返してくれる人、つまりその句に織り込んだ俳句特有の符号や法則やジャーゴンの類をきちんと読み取ってくれるごく少数の人にだけ分れば御の字という世界なんでしょう。また「俳句とはこうでなければならない」なんてしかつめらしいことを言っている人もよくいるが、そうやって自分の考えで他者を支配したい人は政治家にでもなることですね。そこへ行くと」

 手拭を畳んだ文字氏は再びノートを見て、

「この句は実にはっきりしていて面白いね。うっかり触ると切れそうな鋭さがあるな。嫌いという言葉をむき出しにするのはこの国ではあまり好まれないけれど、要するにあくまでこの句の主人公はからたちだから、どことなくあの柑橘類を思わせる実が発散するフレッシュな感じもある。実際、トゲのために木が存在するんじゃないかと思うくらい、からたちのトゲというのはものすごいからな。あそこまで大きいというのは、要するに虫ではなく鳥類から身を守っているんじゃないかな。そして思わずトゲでも刺してやりたくなるような人間も、誰だって両手の指が埋まるくらいにはおりますわな。」

「やはり作者の九段下氏も嫌いな人間の方が多かったんでしょうね。」

(下)カリガネソウ

カリガネソウ

シコンノボタン

シコンノボタン フローラガーデン

「本人じゃないから何とも言えないが、こんな句を作るくらいだから大方そうだったんだろう。でもねえ、嫌いという気持ちは大事なことですよ。要するにこういう感情はスパイスのようなものですからな。身の回りが何でもかんでも好きなものや好きな人間ばかりだと、気持ちにゆるみが出る。嫌いな人間というのは頭の先の毛穴一本から足の爪先についた埃のかけらに至るまで気に食わんもんですからね。だからそいつを見るだけで意識せざるを得なくなる。すると本人の頭の回転もおのずと速くなり脳も活性化する。だから嫌いな奴に感謝するということはないが、要するに必要悪ではあるなと私は思ってますな。」

「なかなか面白いお考えですね。すると文字さんも嫌いな人間の方が多いということですか?」

「長く生きていればいろいろ様々な人間に会うものだが、そのうち一割はいい人間、六割は嫌いな人間、残りはそんな判断をする必要もない人間。要するにこう自分では分けていますよ。でもそれはそれとして、嫌いな奴の方が人間として面白いのは多い気がしますな。そうそうあれは忘れもしない、私とお互い非常に嫌い合っている学者仲間がいましてね。要するにウマが合わないのです。それである時ハデに衝突しましてね。「貴様とは二度と同じ空気を吸わん!」ということになったわけですよ。」

「それはまた行くところまで行ってしまった感じがしますね。」

「ところが社会とは個人対個人の関係だけで成り立っているものではありませんからね。ある時どうしてもそやつと同じ会議に出なきゃならんことになったんですな。まあ、要するにあの時はちょっとだけ、イヤほんのちょっとだけですよ、ゾウリムシのため息くらい「あんなこと言うんじゃなかったなあ」と、要するにまあこう思ったわけですよ。」

「極端なことを言っちゃうと後で悔やみますよね。それで結局会議には行かれたんですか。」

「欠席することの出来ないよんどころない事情がありましてね。重い足を引きずって会場に入り、割り当てられた自分の席に着いて向かいを見たら、まあ、何と驚いたことか。」

 文字氏は破顔する。

 

(下)アサマフウロ 山野草ガーデン

アサマフウロ

「その私の大嫌いな奴がね、酸素吸入器を装着して背中にボンベを担いでいたんですよ。いやあ、あの時はさすがに度肝を抜かれましたな。要するに彼は、「二度と私と同じ空気を吸わない」という公約を貫徹したんですな。会場中の視線を浴びておりましたが、とうとう最後まで外しませんでした。あのスーハースーハーいう独特の音が今でも忘れられませんな。要するに彼にとっては私への嫌悪感はどうしても妥協できないものだったんでしょう。」

「それはすごい話ですね。相当頑固で意地っ張りな人だったんだな。しかし吸入器にボンベなんて普通は持っていないものでしょう。」

「共通の知人に後で聞いたところが、やつの親類に呼吸器系の医者がいるとのことでしてな。拝み倒して借りたとか言っていたそうですな。あれからはちょっと彼のことを見直しましたね。要するにあそこまで徹底して誰かを嫌い抜くにはよほど強靭な意志がいるだろうからな。もっとも今でも絶縁状態には変わりありませんがね。」

「片方がもういいと思っても向こうにその気がなければ難しいんでしょうね。」

「だと思いますね。要するにああいう人間もいたなあ、といずれ懐かしく思い出すこととなるんでしょうな。嫌悪も含めての人間関係であり、いずれお互い死にますからね。死んでしまえばわだかまりはもう意味を持たない。」

「それはまあそうですが。」

「あなたはどうです?やはり嫌いな人間ばかりでしょう。」

「そういうことになりますかね。というよりあまり他人に対して好悪の念を持つこと自体、さしたる意味を感じないようにも思いますね。そういうことに心を煩わされるくらいなら、いっそのこと人間関係やそれにまつわるもろもろを雨や晴れや風や雪みたいな自然現象の一部として考えてしまえれば一番いいなあと思うこともあるんですが・・・。でも実際、なかなかそうはいかず、微風に揺らぐ線香の煙みたいに、わずかな他人の言動にも揺れ動いている有様です。年齢を重ねれば変わることなのでしょうか。」

 別にそんなつもりはないのだが、私はいつか文字氏に日ごろのもやもやを打ち明けるような格好になってしまった。どうもこの今ひとつ正体のつかめない、しかしものにこだわりのなさそうな御仁には、何でも話せてしまいそうな雰囲気がある。

 

(下)パープルファウンテングラス フローラガーデン

パープルファウンテングラス

オオモクゲンジ

オオモクゲンジの花

文字氏はこちらの腹の内を見透かしているとでも言いたげな笑みを浮かべる。氏も徐々に私に気を許してきたのか、最初のキョトンとしたままの表情がだいぶ豊かになってきた。

「私が若いころ、亀井勝一郎という人の本が大変流行しましてね。私らの世代は大抵本棚に一冊はこの人の著書があったものですよ。そのある一冊の中で、亀井勝一郎が面白いことを言っている。要するに絶望という感情を抱いた時どう対処するかということですよ。絶望するのはたやすい。だがそこで終わってしまうのではなく、その絶望をなぜ感じるのか、整理して体系化しろと亀井は書いているんですな。しかし実際にそれを試みてみると、まあ大体途中でどうでもよくなってしまう。つまり日常抱く絶望感、これは若い世代に特に多いものかもしれんが、そうしたものは大概底の浅いものだというようなことなんでしょうな。ある種の雰囲気みたいなもので、ふとしたことで吹き飛んでしまうものに過ぎないのかもしれない。亀井はそうやって、絶望に捕まることなく逃げて逃げて生き抜け、とまあ要するにそうしたことを言いたかったんじゃないかと今となっては思いますな。そしてこれは「嫌い」という感情にも言えることでしょう。ある人間を「嫌だ」と思うならなぜそう思うのか、自分の中で整理し、体系的に捉え直してみるといい。そうすると結構高い割合で、自分の性格の中の自分が嫌に思っている部分と顔を合わせるでしょう。嫌いという感情自体は反射神経のように無意識的なものかもしれないが、その根っこというものは、要するに自分自身の中にあるんでしょうな。嫌いな人間が多い人ほど、自分の中の自分で許せない、認めたくない部分が多いのかもしれない。そういう状態のまま生きていくことは簡単ではないでしょうが、それも一つの財産だと思えば多少は救いになると思いますよ。

 おっと、私は本来、こんな悟りを開いた坊さんみたいな説教キャラじゃあないんだが。何だかこの俳句を見ているうちに思いもかけないことが口をついて出てきてしまいましたな。桑原桑原。」

 文字氏は快活な笑顔でアゴヒゲをちょっとはじくような仕草をした。

 

(下)ルリマツリモドキ 花仲間ガーデン

ルリマツリモドキ

「なるほど。おっしゃることは理解できましたが、簡単ではなさそうですね。まあ良くも悪くも、他人は自分にとって鑑のようなものなんでしょうね。」

「エッフェル塔を毛嫌いしていたモーパッサンは、いつもエッフェル塔の中のレストランで昼食を摂っていた。要するにこれならエッフェル塔を視界に入れなくとも済むからと・・・。そんな風に、自分がどうしても気に入らない人間があるのなら、いっそその人間の内面に接近し、自分もその人間のようになってしまうというのも、ある意味で嫌いな存在を意識から除ける手段かもしれませんな。あまり堂に入りすぎて、どれが本来の自分だったかわからなくもなりそうですがね。まあ、そう考えることもできる。そしてそういう生き方を選択することもできる。あなたはお若いから、考える時間はまだたくさんありますな。しかし、すぐに老いますよ。要するに、私のようにね。さて、それはそれとして。」

 文字氏は九段下道裕の「句帖」ノートを指して、

「これは結局どうしますか?あなたがこれからも持ち続ける?マスジマ君のところに返すのも手ですがね。」

 改めて私もノートを見直す。よくわからない経緯で私の元にやって来、よくわからない出来事やよくわからない人々に私を巻き込んだノート。

「そうですね。」

 元より私に何の異存もない。

「このノートが何らかの価値を生むものならば、私のところにあるより、古書業のマスジマさんたちの手元にあった方がいいでしょう。またどんな目に遭うかわかりませんし・・・。でも、どうやって返却したらいいんでしょうか?」

「私はこれから日本を離れるのでね。というのも、要するに欧州へ出る用事があるのですよ。本業と副業二刀流の事情でね。要するに政治学の方、及び「直筆班」の方二つともですな。最近外国語の直筆の需要も高まってきましてね。そっちの方も漁りに行くのですよ。というわけで私が今日このノートを預っていくことは無理な話ですな。そうだ、私の方からマスジマ君に連絡をしましょう。そして彼が直接こちらに取りに来るようにすればいい。なぜって、要するにこのノートのせいで何の罪もない配達員の身に何事かが起きてしまっては気の毒ですからな。それに、確かマスジマ君は社長と違ってノートを手にしてもどうともなかったはずだ。彼が一番いい。うん、それがいい。」

 文字氏は一人で話を進め一人で納得すると、椅子から腰を浮かせた。

 

(下)パンパスグラス スモークツリーガーデン

パンパスグラス

ネコノヒゲ

ネコノヒゲ ヒーリングガーデン

「長々とお邪魔してしまって、申しわけなかったですな。まあ、要するにこれも何かの縁でしょう。そうだ、あなたも面白い直筆で書かれたノートや何かが身近にあったら連絡してもらえるとありがたい。もちろん価値あるものなれば適切な対価はお支払いしますよ。お渡しした名刺に私の連絡先が書いてあったはずだ。それでは、チャウ!」

 チャウ?後で気になって調べると、これはポルトガル語の「さよなら」だとわかった。やはり文字氏の行先はかの国なのだろうか。そして、「連絡先が書いてある」はずの名刺には、どこをどう見ても「文字」としか書かれていないのだった。

語られざる俳人・8(8月11日)

「それで、その話はこれでもう結構なんですが、つまりなぜ私を訪ねて来られたんですか?」

「だから、あの神保町だか半蔵門だかいう俳人のノートを持っているあなたが、どういう人でどんな様子でいるか、見に来たんです。」

 文字氏は相変わらず冗談を言っているようには見えない顔つきで要領を得ないことを言う。私は白昼堂々タヌキに騙されているような気持ちになってきた(文字氏はキツネではなくタヌキ顔である)。

「やっぱり、私は人から気遣われるようなノートを受け取ってしまったことになるんですかね?」

 マスジマが電話口で言っていたことを思い出す。このノートを文字氏から受け取った彼の会社の社長が高熱を出したとか、会社の近くで異様に高身長の男が目撃されたとか。

 文字氏は突然満面の笑みを浮かべる。

 

(下)キキョウ ペレニアルガーデン

右側のキキョウは両手両足を広げて底なし穴に向かって落ちていく最中のポーズをとっているように見える。

桔梗

  • アーティチョーク

アーティチョーク ヒーリングガーデン

人の背をはるかに越す高さになる花だが、今年はそうはならず花が咲いて早々に終わってしまった。

 

「今の私はハワード・カーターのような立場ですな。この人物の名前は知っているでしょう。要するに古代エジプト第18王朝第12代の王トゥト・アンク・アメン通称ツタンカーメン王のミイラを発掘した英国の考古学者ですな。世間周知の通りあの18歳だか19歳で死んだ少年ファラオのミイラが王家の谷で発掘された後、関係者が次々と不幸に遭遇したり、奇怪な死を遂げたりした。ところが直接ミイラを掘り出したカーター本人には、ついに何事も起きず、穏やかに天寿を全うした。私もノートに関わってしまったが、この通りピンピンしておりますよ。もっともカーターと違って第一発見者ではありませんがね。」

「カーターのパトロンだったカーナーヴォン卿を始め、その親族や発掘に協力した考古学者、相次ぐ不幸の原因を探ろうと自ら墓の中を探索したエジプト政府の役人までも精神的、肉体的に破滅してしまったという、例の「呪い」の話ですか・・・。そのことに置き換えて考えると、あのノートに関わった人は、その後五体満足でいられなくなるということなんですかね?」

 思わず生唾をゴキュリと飲み込む私。

「イヤ、そうまで皆悲惨な目に遭っているわけでもありませんよ。要するに急に発熱したとか、戸棚を開けたら落下してきた鍋が脳天に命中したとか、まあそんな程度のことですよ。我々の長い人生から見れば、そんなのかすり傷ですらないでしょうが。」

「そうでもない気もしますが・・・。」

「そういうおたくはどうです?何かこのノートを手にしたことで、変わったことはなかったですか?」

 

(下)レンゲショウマ

レンゲショウマ

キキョウのつぼみ

キキョウのつぼみ

キキョウはつぼみも趣があっていいものだが、これを手持ちのスマートフォンで撮影しようとしたら、なぜかQRコードと勘違いしたらしく、懸命に何かのアプリケーションを起動しようとしていた。つぼみの表面に刻まれた筋をあのQRコードのぐちゃくちゃ模様と早合点したようだ。人工知能の限界か。

キキョウ

キキョウ

花の形も大きさも色も模様もそれぞれ。でもどれが一番優れているかなんて愚かな主張はしない。

  • ポンテデリア

(上)ポンテデリア 花仲間ガーデン

 

そこで私はノートの中の俳句を目にした後で体験したことを話す。窓の外で揺れる数千本のダリア。龍の玉の洪水。つぶれかけの会社の社長室のような場所で展開される三文芝居のような人間ドラマ。そして何よりも、燃える辞書を鏡に投げつけてきた長身の謎の男。

 聞き終えた文字氏は何か釈然としない顔つきでアゴに指をあて、天井を見上げしばし沈黙する。

「イヤハヤ、そんな妙なことも起きるもんですかな。なるほどなかなか興味深い。要するにあなた自身が身体的に直接危害を被っていない点が特異ですな。つまり体調を崩したりケガをしたりといったことは今の話を聞く限りは起きていないようだ。それと、あなたは俳句に興味がおありなのか、わざわざこの市ヶ谷だか大手町だかいう俳人の俳句に目を通した結果、何事かが起きたという。ところがね、要するにこれまでこのノートが経由してきた人々は、ただノートを持っていただけで、中に何が書いてあるかは特段気にしていなかったわけですよ。かくいう私もそうで、要するに私は直筆であるということにだけ注目しているわけですからな。直筆でさえあれば、句集だろうが歌集だろうがデスノートだろうが、全然構わんのでね。」

「今までどのくらいの人がこのノートを手にしてきたんですか?」

「マスジマ君からどこまで聞いているかわからんが、要するに最初に上新庄駅のロッカー見回り係が見つけ、駅員を経て警察の手に渡った。」

 そこで私は耳に力を込めて文字氏の次の言葉を待つ。警察からどこをどうしてこのキョトン顔の人物の手にノートが行き着いたのか、聞き漏らすわけにはいくまい。いや、そこまでこだわる理由は特にないのだが。

「それで?」

「んーと、その後はどういうルートを経たんだっけかな?・・・まあ、いいや、ワッハッハッハ。とにかく風に乗って私の手元に飛んできて、運よく私がキャッチした。とまあ要するにこういうことにしておきますかな。異存はありませんわな?」

 

 

(下)キキョウ 八重咲である

キキョウ八重咲

フロックス

フロックス ペレニアルガーデン

熱くなるといきいきする花。人間とは逆。

ルドベキア

ルドベキア ペレニアルガーデン

  • ミソハギ オミナエシ

(上)ミソハギとオミナエシ 花仲間ガーデン

 

明らかに本当のところを記憶していながらわざとシラを切っているようにしか見えないのだが、それほど深くつっこむには及ぶまいと私は気を取り直す。これもある種の企業秘密だから言う気がないのかもしれないが、私はこの人の商売敵でも何でもないので、あえて追求する必要もない。

「それならそういうことにしておきますか。はははは・・・。それで、その人たちはノートのせいでそれぞれどんな目に遭われたんですか?」

「最初に見つけたロッカー係については私もよく知りませんがね。ただ駅員の一人は、要するに先ほど言った鍋の命中に遭い、別の一人は酔うと踊りたくなる酔っ払いに深夜のホームで絡まれて仕方なくタンゴの相手をしているのを上司に見つかり、業務怠慢で減給処分。」

「それはお気の毒で。」

「ノートを駅員から回収して警察に持ち帰った警官は、後日スピード超過の車を白バイで追跡中、落ちていた聖護院大根にタイヤが乗り上げてバイクが転倒。本人はその勢いで投げ出されて着地した先ができたてホヤホヤの鶏糞肥料の仮置き場だったとか。」

「それは酸鼻を極める・・・。」

「あとは私がこれを持っていった古本屋の社長ですな。これはあなたもマスジマ君から聞いたかもしれないね。要するに風邪を引いたことがないというのが数少ない取り柄と自慢の人が、急に熱を出して1週間も寝込んだというのだからね。」

「それは私も聞きましたね。マスジマさんは、社長は第六感のようなものが発達しているから何かを感じてしまったんだとか何だとか言っていましたが。」

 文字氏は微苦笑じみた表情を浮かべる。

「あの社長といいマスジマ君といい、どこを切ってもニコニコしている金太郎飴のような連中だからね。突然いわくつきのノートが舞い込んできて、いわく通り自分も妙な目に遭ったもんだから、要するに自分にも何か特殊能力が備わっているかのように誤解して他人にも吹聴しているんじゃないのかね。ま、金太郎飴的凡人の考えそうなことではあるがね。それはそうと。」

 文字氏は腕を組み、私が開いている九段下道裕俳句ノートを見下ろす。

「その一句は、ちょいと面白いですな。」

 

続く

 

(下)ツリフネソウ 山野草ガーデン

ツリフネソウ

ゲンノショウコ

ゲンノショウコ メディカルガーデン

ムクゲ

ムクゲ メディカルガーデン

語られざる俳人・7(7月1日)

ハタザオキキョウ(カンパニュラ ラプンクロイデス)

ハタザオキキョウ

この間九段下道裕の「句帖」ノートで見つけたこの句が、ここしばらく脳裏から離れない。

 

からたちや嫌いな奴はトゲで刺す

 

 最初に見た時は思わず吹き出した。あまりにストレートである。そして攻撃的だ。からたちのあの稲妻のような鋭く大きいトゲは何のためにあるのか。外敵か何かから花や実を防御しようという天の設計なのだろうが、あそこまで大きなトゲである必要性は何なのかとよく思う。大きすぎてかえって保護しきれていない部分もありそうだ。九段下いわく、「嫌いな奴」を「刺す」ためにある、と。言われてみれば外敵とは少なくとも好意を持つ相手ではないだろうから「嫌いな奴」とも言えるし、トゲは何かしらを「刺す」ためにあるはずだ。だがこの句で言われている「嫌いな奴」は現実の人間としか思えない。九段下道裕は日常において「嫌いな奴」の多い固陋な人間だったのか。以前ある人が言っていた。「他人を好き嫌いで判断するとよく言うが、自分の場合は、‘嫌い’か‘それほどでもない’のどちらかだ。」つまり好意の持てる人間など滅多にいないということである。その通りだろうし、それで十分だ。他人に大した期待をせず、自分にもあまり重きをおかず、人間は木々や植物や空や建物と同じ風景の一部と見なし、人間にまつわる物事に無益な感情の浪費をしないこと。できればそれが一番望ましい。

 そう思い決めても、神経の細かい人間にはそれがなかなかできない。と言って今さら神経を入れ替えることなど不可能だから、雷にでも打たれて人格が変わるのを待つ他なし。

 そんなことを考えていると、訪問者を告げるチャイムが鳴った。

 

ガクアジサイ

ガクアジサイ

ホタルブクロ

ホタルブクロ

玄関を開けると、見知らぬ男が一人。色褪せたベレー帽を被り、いつもそうなのか、キョトンとした顔つきをしている。よく整えられたアゴヒゲがもみあげと接続している。

「初めてここにやって来たんですが。」

 それはそうだろう。私も初めてこの人を見た。

「何のご用で?」

「用?はて、こんなところへ何をしに来たんだっけかな。まあ、要するに話しているうちに思い出すでしょう。取りあえず初対面の人の家に足を運んだ時はまず、自分の名前はこれこれだと表明するのが礼儀というものでしょう。

 要するに目の前の人間と会話している最中は、「君」だの「あなた」だのでも十分事足りるでしょうが、やはりその人固有の氏名というものを把握しなければどうにも落ち着きが悪いものですからな。マイナンバーでは抽象的で長すぎるし、大体自分のマイナンバーを間違えずに言える人なんてオスの三毛猫より少ないでしょう。むろん私もメスの三毛猫、つまり言えない方ですな。かくいう私は、要するにこういうものです。」

 全然要しているようには聞こえない「要するに」を連発しながら一方的な話を終えた男が差し出した名刺には、ただこう書かれていた。

 

 

文字

 

 

 

イテア

イテア

ヒペリカム

ヒペリカム

トモエソウ

トモエソウ

  • ネジバナ

ネジバナ

 

文字?不意に目の前に差し出された二字の意味が理解できず、私は目の前の男を見返す。彼は相変わらずキョトンとした顔つきでこちらを直視する。

「もじ?これがそちらのお名前ですか?」

「名刺にひいきの野球選手の名前を刷る人はそうはいないでしょう。要するに私の名前ですよ。そして99,98%の人は「もじ」としか読みませんな。本当は「ふみつぐ」と言うのですがね。ま、そのまま「もじ」と読んでもらって構いませんよ。二文字少ない分舌にとってはホワイトな労働でしょう。」

「つまりはこれが名字というわけですか。ですがこれではフルネームではありませんよね。下のお名前は何と言うのです?」

 すると男は初めて表情を緩めて思いがけないことを言う。

「下の名前。要するに実の親や名付け親に相当する人から与えられたファースト・ネームなるものは、家庭の中では通例みんな同じ名字だから他の構成員の存在と一緒くたにならないよう、便宜的につけられただけのものでしょう?だから世間に出たら、大抵問題にはされませんわな。要するに名刺に刷り込んで初対面の赤の他人やショッキングピンクの他人に教えるだけのこともないわけですよ。だから書いていないのです。それに私の名字はいかにも特徴的で、恐らく他に日本にはおらんか、おっても問題にならない程度の数でしょう。要するに名字だけで十分なのです。」

 名前についてそんな考え方がこの世に存在するとは思いもよらなかったが、どうやらこの男は本気で言っているらしい。それにしてもショッキングピンクの他人とは何なのだろうか。どうも面倒くさそうな御仁が押しかけてきたものだ。それよりも私はこの名前が薄れかけていたある記憶と結びつくのを感じていた。

「文字さんと言うと・・・ひょっとしたら直筆の文書や書類を集める政治学者でバイヤーの方ですか?」

「ああ、それでここに来た用件を思い出した。要するに私はあなたの言うとおりの人間ですよ。そうそう、信州の古書業者のマスジマ君から、九段下だか小川町だかいう俳人のノートをあなたに送りつけてしまったと聞きましてね。それでノートを受け取ったあなたがどんな人間で今はどんな様子でいるのか、要するに見に来たというわけですな。」

 

紅花のアナベル(あじさい)

紅花のアナベル

ネムの花

ネムの花

  • くちなしの花

くちなしの花

 

どうも話の展開がまどろっこしく、立ち話にも疲れたので、私は「文字」氏を家の中に招じ入れる。

「マスジマ君から聞いたかどうか知らんけど、一応私の本職は要するに政治学者ということになるのでね。と言っても政治学の横丁の裏通りの、さらに路地裏の袋小路のようなところで息を潜めているような有様ですからな。要するにそれだけでは生きていくのが心もとないので、「直筆班」と一部では呼ばれている世界に身を置いているわけですな。自分では半身だけ置いているつもりだけれども、もうとっくに全身になっているかもしれないな。」

「それもマスジマさんから聞いた覚えがありますね。確かその後マメに調べたと言ってハガキを寄越してきましたが、何でもポルトガルの首相がどうこういう論文を書かれたとか?」

 文字氏は元からキョトンとしている表情のキョトン・レベルをやや上げたような顔つきになる。

「ヘエ、あのマスジマ君がそこまで調べたのかな。彼も私には負けるが妙な男だからね。私の学位請求論文のことですな。要するに「ポルトガル第一共和政期における首相執務室備品配置の変遷について」。まあ、何でこんなことを書いたかというとだね、それは要するにあなたも知っているとは思うけれども。」

「いや、たぶん知らないですね。」

「1910年にポルトガルでは革命が勃発し、ブラガンサ家の国王マヌエル2世が退位して王政が倒れ、共和国となった。ポルトガル史上初めての共和政治だったのでこれは「第一共和政」と呼ばれておる。ところがこの政治体制は考えられないくらい不安定なものだったんですな。1926年まで続いたわけだが、要するにこの16年間で内閣の交代が43回。誕生した首相が32人。月替わりのランチのようですよ。5日や7日で交代した記録さえある。それで私が気になったのは、こうもしょっちゅう首相が交代すると、その人たちの執務室というのは一体どうなっていたんだろうということですな。要するにヤレついに権力の座に昇り詰めたゾとホクホクしてそこに入り、自分好みに新しく調達した家具や備品の配置に趣向を凝らしたとしても、せいぜい数ヶ月で出て行くことにしかならないわけだから、そんなことしたって阿呆らしいでしょう。だからこの32人の首相たちは、あたかも素泊まりキャンプのように身ひとつで執務室にやって来て、そこを自分仕様に模様替えする間もなく微々たる在任期間の間政務に励んでいたんじゃないかと思ったのが、要するにこの研究のキッカケだったというわけですよ。」

「はあ、なかなか奥の深そうな話ですが、調べるのは一苦労という感じがしますね。大体日本人のポルトガルに対するイメージは、そこまで強いものではないですよね。まして二十世紀に入ってからの政治家の名前となると、学校でもまず教わりませんし。」

「せいぜいアントニオ・デ・オリベイラ・サラザールの名前を聞いたことがあるかどうかでしょうな。1932年から1968年まで36年間に渡って、軍事力を持たない文民政治家でありながら軍部にクーデターひとつ起こさせず安定した統治を続けた、要するに独裁者。正体不明の2人の少女と同居を続け、ハンモックから落ちて頭を強打し廃人となった後も、架空の権力を死ぬまで握り続けた修道僧上がりの奇妙な禁欲者。ああ、この間耳に挟んだところでは、ホグワーツ魔法魔術学校の創立者の一人サラザール・スリザリンの名前のモデルになったらしいとか、そんな話ですね。」

「それは初めて聞きました。それで、結局その研究で何がわかったんですか?」

文字氏は椅子の前半分に改めてかけ直して足を組み、リラックスした様子で話を続ける。

 

ハタザオキキョウ

ハタザオキキョウ

八重咲のドクダミ

八重咲のドクダミ

紫陽花

紫陽花

「あなたも予測されたようにこの時代に関わる日本語による史料類は皆無に近く、本国ポルトガルでもはっきりとした研究はされておらなかったのです。要するに時代があまりに混乱し過ぎていて、執務室の写真すらまともに残されていない。1919年と20年の2度首相を務めたドミンゴス・レイテ・ペレイラが、2度目の在任中の1920年3月1日に、カーペットの洗濯をリスボン市内のクリーニング屋に依頼した時の領収証くらいしか見つからなかったのです。まあカーペットが戻ってくる頃には彼はもう首相ではなかったんですがね。要するに研究として成功したとは言えないのが実情ですな。」

「そういう研究をされている方というのは多いのですか?」

「イヤ、普通の神経の持ち主であればやらないでしょう。やはり私と同じ路地裏の袋小路組の人間でね、といっても彼女は歯科医と結婚した元キャリアウーマンで、何を血迷ったか突然学び直したいと言って私の同僚になったんですがね。「もし宇宙人が地球の代表者に面会を求めてきた場合、国際法的に誰が代表して会見すべきか」というテーマをずっと研究してますよ。これは政治学とはまた別ですがね。要するにその代表者というのが国連事務総長なのかアメリカ大統領なのか、ローマ教皇なのかダライ・ラマなのか大アヤトラなのかでどうも結論が出ないようですな。」

「なるほど。」

 とひとまず納得したところで、私はふとこのままのペースで話を続けるとアサッテになってしまうのではないかということに気づく。

 

つづく

語られざる俳人・6(6月5日)

カルミア

カルミア

「今日生きている」ことに賭け河原温

 

 別の日、この間見ていたページの次と思われる場所を無造作に開くと、こういう句が目に入った。これもまた季語を持つようには見えないものである。前衛的ということなのだろうか。前衛的な表現はしばしば前衛であるということだけに目的や価値を置かれて作られがちだ。だから奇抜で人目は引くが、中身もメッセージ性もない消費期限の短そうな表現作品はいくらでも世に垂れ流されている。だがこの九段下という人の俳句はまず言いたいことがあってそれを収めるために五・七・五という形式を選んだように見受けられる。それが本来の「表現」というものだろう。

 河原温という名前には見覚えがある。現代美術家と呼ばれた人だ。一般人にはよくわからない職種の代名詞だ。本棚から『現代美術辞典』をつまみ出し、めくってみる。

 

 「河原温(かわら・おん)

 1932年愛知県刈谷市生まれ。20代でメキシコに渡り、のち米国を中心に制作活動を続ける。制作した日付を黒塗りのキャンバスに静物のように書き込む「日付絵画(Today Series)」や、その日自分の滞在している場所から世界各地の任意の知人に、「今自分は起床した」・「自分はまだ生きている」という文面だけの電報を送る独特の活動で知られる。彼の作品はかつて確かに存在したが今はもう帰ってこない時間を鑑賞者に連想させ、そこからそれを見る人自身も、始まりも終わりもない時空に漂うある一点に過ぎないのだと気づかせるはたらきを持つ。世界的に高い評価を確立した後もストイックで作者自身の存在の痕跡を伝えない作風は終生変わらず、河原本人も公的な場所には一切姿を表さないスタイルを貫き続けた。2014年ニューヨークで死去。」

 (浅香隆弘・伊丹璃絵編『現代美術辞典』、2018年・上総ブレインアート出版刊)

 

 そうだ、日付絵画(トゥデイ・シリーズ)というのは見たことがある。どこの美術館だったか。キャンバスというより箱に描かれているように見えた。深く漆黒が染み込んだその箱の表面には白くくっきりとした書体で、ただ日付だけが描かれている。私の見たのが何月何日であったか覚えていないが、仮に「JULY.21,1974」とすると、この絵は1974年7月21日に描かれたということになるそうだ。こういう句を作っているということは九段下道裕も河原温の作品を見たことがあるか、そのファンであったのだろうか。俳句によみ込むくらいだから余程この人の絵に惹かれたのだろう。

 河原温はなぜこういうものを描き始めようと思ったのだろうか。専門的な本にはいろいろなことが書かれている。美術家として他の同業者とオリジナリティの差をつけるための一種の戦略だったのではないか、というようなことを言う人もいる。結果的に言えばそういうこともあったかもしれない。恐らくこの単純な手法は河原温以外誰も思いつきも実践もしなかっただろう。そして河原温の登場後に誰かが似たようなことを始めれば、たちまち河原温の亜流と見なされたに違いないからだ。

 そう考えると、確かに表面的な理由としては「美術家としての生存戦略」も一理あるし、実際河原温はこのテーマで確固たる地位を築き国際的な名声を得たのだから、戦略は大成功だったことになる。

 しかし、無論それだけではなかっただろう。そういうことだったら大抵の芸術家は考えるし、考えなければ生き残れない。つまり河原温には、ああいう作品を手がけなければならない何らかの「必然性」があったはずである。それは一体何だったのだろうか。

 

 

紫陽花

紫陽花

ホタルブクロ

ホタルブクロ

「1980年1月7日・・・。」

 不意に声が聞こえてきた。中年に差しかかろうという年恰好の男の声。気づくと、私は見たことのない室内にいた。

 「あの絵に描かれているのは、やっぱり意味のある特定の日付なんですね。」

 男の声を受けてのものか、控えめに沈んだ若い女の声が続く。それまで霞がかかったように前がよく見えなかったのだが、その時私はようやく室内の情景を目の当たりにすることができた。

 小ぎれいに整えられたオフィスである。壁面は茶系統で統一され、家具もそれに合わせた黒檀のような落ち着いた色調の素材で設えられており、いかめしい雰囲気のある室内だ。企業の幹部クラスがあてがわれている部屋と思える。私は好きこのんでそんなところに足を踏み入れたり、ましてそこの住人になろうというような奇矯な趣味を持たないが、否応なく連れて来られてしまったようだ。迷惑なことである。ただ、彼らは私の存在に気づいていないようだ。

 中央の書類の詰まれた机についているのが最初に声を発した男らしい。この部屋の空気を統べる存在、社長のような人なのだろう。すると付き従うように机の傍らに控える女は秘書か。

 

 

クレマチス

一つ下はその咲いた後の様子。ブロンドの癖ッ毛のような形の糸?が面白い

クレマチス

  • クレマチス開花後

「そう。ただ選ばれたある日の日付だけが描かれた絵。実にシンプルだ。シンプルに過ぎてつい自分でも手がけてみたくなる。だが芸術作品は、誰が最初にその表現方法を始めたのかが決定的となる。この絵を描いたのは、河原温という画家だった。」

「外国人に向っては、On Kawaraと名乗っていた。わかりやすい発音にシンプルな表現。そこからは東洋的な簡素ささえ感じられたかもしれない。自分の存在を西洋の未知の相手に売り込むには優位だったでしょうね。」

「そういうこともあっただろうな。あの絵は父がサンフランシスコにいた頃に河原温に直接もらったんだと言っていた。河原はニューヨークに住んでいたが、方々の画商とやり取りするために世界中を飛び回っていて、ちょうどアメリカに戻って西海岸にいたところ、父と知り合ったらしい。」

「亡くなった先代は、絵がお好きだったのですか?」

「特にそういう人間ではなかったと思う。ただ河原温という人に、どこか普通の人間にはないものを感じて、その頃彼が住んでいたある画商の持ち家によく遊びに行ったと話していた。‘河原というのは何とも捉えどころのない男でね。今となっては顔もよく思い出せない。その辺にいそうな人間とでもいおうか。どの街の雑踏にもたちまち溶け込んで、すぐ土地の人間と区別がつかなくなってしまいそうだった’そう父は振り返ったことがある。」

 二人はしばらく壁の絵を見つめている。私が美術館で見たいくつかの河原の絵と同じく、この一枚も額やガラスケースに入れられず、むき出しのキャンバスのままかけられている。濃い藍色を背景に、例の如く日付だけ。

 

「JAN.7,1980」

 

 

栗の花

(栗咲く香この青空に隙間欲し 鷲谷七菜子)

栗の花

ベニバナヤマシャクヤク

ベニバナヤマシャクヤク

  • バラ

「私は」女が口を開く。

「この日に、先代がこの会社を立ち上げることを決めた、その記念の日付を指しているのだと前から思っていましたけど。」

 自信なさげに、語尾はひそやかに。

「そこまでは私もわからない。恐らくアトリエに行ったその日にでも描いてもらったんじゃないだろうか。私もよくは知らず暇な時に調べただけだが、河原という人は作品を生み出す時、必ずその日一日で完成させるようにしていたということだ。終わらなかったものは破棄された。今私たちが見ているものは、この日のうちに出来上がったものとして父が受け取ったのだろう。父は目の前で、まるで定められた儀式のように河原が制作する場面を見守っていたんだろう。そして君の言うように、この日付を境として父は新しく事業を始めようと思ったのかもしれない。この日付は、父の新しい人生の一ページになったのかもしれない。」

「それから四十年。」

 女の口調が今までよりさらに沈んだ響きを帯びる。男も口を閉じ、再び絵を見つめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨粒が窓を叩く音が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

6月初頭のヒーリングガーデンの様子

ヒーリングガーデンの様子

ウサギ

フラワーウイークの期間中フローラガーデンやスモークツリーガーデンでにらめっこをしていた「花うさぎ」たちも来年までしばしお休み。

「君の言いたいことはわかるよ。」

 男が重い口を開く。伏せた女の目がわずかに男の口元に注がれる。

 「私は経営者としては失格だった。父が会社を興してから四十年と少し。「まだ」なのか、「もう」なのか、正直よくわからない。だがこれがこの会社の享年だ。残念ながら。さっきここから去っていった彼女が言っていたね。君も聞いていただろう。私は生まれがよく、苦労を知らない花のような男だと。確かに私は恵まれていただろう。私は爪の先に灯されたわずかな明かりになど目もくれず、残り少ないことも構わずに暖炉に次々と薪をくべるような人間だったかもしれない。下で自分を支えている他人のことなど気にもかけず、ただのほほんと咲いていた世間知らずのおめでたい花だったのだ。今さら否定のしようがない。でもそれが全て私の責任だというのだろうか。」

「ご自分をあまり責めないでください。」

 事態がここまで展開したことで、私はようやくこの場の持つ意味を理解する。ダリアをよんだ九段下道裕の句、「大輪を棄てよとダリアの茎が言う」に目を留めた時、私の耳に聞こえてきた声。中年の女性が、溜まりに溜まった鬱積の全てをぶちまけるように、社長らしきこの男に詰め寄った後、足音も荒く部屋を後にしていったあの情景の続きなのだ。

「自分を責めたくもなるさ。最初から向いていない道とわかっていてなぜ歩き始めたのか。なぜ違う方向へ進もうとしなかったのか。選択肢がないわけではなかったんだ。でも、私は結局そうしなかった。父から圧力があったわけでもない。商才なら死んだ弟の方があっただろう。でもなぜか、後継ぎは自分だ、自分しかいないという思いがあった。そして一度そう決めたら自分でも変えることができなかった。私は自己暗示をかけるのが上手いのかもしれない。そうやって本当の自分の姿に覆いをかけ続けてきたのかもしれない。」

 男は立ち上がり、河原温の絵の前に向う。

 

ニゲラ(クロタネソウ)

電流のように花の背後に走る総苞(ハンカチノキのハンカチと同じ部分)がユニーク。種が黒いのでこう呼ばれるが、花自体のイメージとは何となくかみ合わない感じもする。

ニゲラ

ガクアジサイ

ガクアジサイ

「もう上手くいかないかもしれない。ライバルに呑み込まれるかもしれない。そう思った時、この絵の前に立った。人間は不思議なものだな。不安な気持ちでいる時には、石ころを握りしめていてさえ、そこに確かなものがあるという事実に安心を覚えるんだ。溺れそうな人が藁にもすがりたくなるのと同じことだろう。実際には何の役にも立たなくともただそうしたくなるんだ。

 この絵を見るたび、私はこの1980年1月7日という日付を意識した。私はまだこの世にいなかったが、父の中では新しい人生が始まっていたかもしれないこの日に。この絵は私にとっては兄のようなものなのかもしれない。或いは私という頼りない船を導いていく水先案内人だったのかもしれないな。でも月日が重なるにつれて、自分はこの会社のいわば誕生日である1980年1月7日に命日となる別の日付を与えてはならず、父が始めた事業をただ延命させるためだけに存在しているのだと思うようになったんだ。もしかしたら本当の「花」はこの日付だったのかもしれないな。しかし、不幸なことだよ。人間、数字にとらわれるようになったら遅かれ早かれ死を意識するようになる。あと何年で退職する。あと何円で貯金が底をつく。あと何キロ減量しなければ入院する破目になる。どれもこれも、小さな子どもの考えないことだ。」

 憑かれたように話し続ける男の姿は、先ほどここを出て行った中年の女性の様子にどことなく通じるものがあった。

「もう残された手段は少ない。これからは頭を下げにあちこち回らなければならなくなる。私も、じきこんな絵など悠長に眺めてはいられなくなるだろう。君も次の身の振り方を考える必要があるよ。もう今までのように頻繁には会えないし、いつ最後になるかもわからない。」

 コートに袖を通しながら男は早口に言うと、投げやりにドアを開け、去っていった。

 残された女はひとり、河原温の絵を見つめている。放心したような表情で。呟きがもれる。

 「私が」

 雨はまだやまない。  

 「私が、あの人の新しい茎になってあげようと思っていたのに。一度落ちた花には、もう茎は必要ないのね。」

 突然停電でも起きたのか、部屋が薄暗くなる。しかし壁の上の河原温の絵には忍び入ってきた外の光が注がれ、あの日付は自ら光源を持ったネオンサインのようにはっきりと見える。

 

 「JAN.7,1980」

 

 

木漏れ日が草と草の合間に落ちて、まるで光の足のように見えた。

木漏れ日

ところで九段下道裕は、「「今日生きている」ことに賭け河原温」というこの句に、自分で次のような解釈を付している。

「河原温にとっては、こうして生きている一日一日が「賭け」のようなものだったのかもしれない。明日自分がどうなるかはわかりようがないし、自分がいなくなっても世界は平然と動いていくのだろう。だから今日自分がやれることは真摯にやる。何が自分にできるのかを見つめ、日々それを更新していく。彼は日付だけの絵を描くことで、自分がその日確かにこの世に存在した事実を表明する。誰も注目しなくとも、自らその行為を選択した以上、最善を尽くす他はない。そして、それはともすれば崩れてしまうかもしれない日常に自分の爪あとを残すための、河原温なりの「賭け」となる。」

 

(続く)

語られざる俳人・5(5月16日)

マロニエ(セイヨウトチノキ)の花 王国通り

街路樹として植えられる木が多い王国通り。しかしマロニエの街路樹がある街なんて日本にいくつあるのだろうか。

マロニエの花

その後どうやって家に戻り、自分の部屋に入ったのか、どういうわけか記憶にない。龍の玉はまだいくつか床に転がっていたが、朝になると全て消えていた。あれは何だったのか。

 再び机上の俳句ノートを開くと、こういうのが目に飛び込んできた。

 

辞書燃えて鏡の反逆星降る夜

 

 これも俳句と呼びうるのか、季語はなさそうだ。解釈もなし。それより私には「燃えて」という言葉が引っかかった。これまでこのノートの俳句に注目した後に起きた展開から推して、何かしら「燃える」ことに関した事象が身の回りで発生するのではないか。それは困る。ダリアや龍の玉が大量発生するのとはわけが違う。燃えていいものなど私の身の回りにはない。ここは見なかったことにしよう、と次のページへ移ろうとして何気なく壁にかけてある鏡を見た私は、すぐに違和感を覚えてそれを二度見した。

 

シライトソウ 山野草ガーデン

シライトソウ

ホタルカズラ

ホタルカズラ 山野草ガーデン

  • クロバナフウロ

(上)クロバナフウロ 山野草ガーデン

 

鏡には私の後頭部が映っている。そんなはずはない。人が鏡に向かったらその人の顔が映るのが物の道理というものではないか。その道理を弁えない鏡がこの世に存在するとは。しかも私の部屋で。

 不気味に思いながら、恐らく今日生まれて初めて見るだろう自分のつむじの意外な大きさに注目していると、鏡の上に私以外の誰かが現れた。

 そこに映っている私の上半身の頭部から、さらに1メートルは高い位置にその人物の頭部と両手がある。全身ではどれくらいの身長なのか測り知れない。男と見えるが表情はわからない。後ろを向いて確認したいのだが体が動かない。男が左手を挙げる。細長い紙の束のようなものを持っている。手の平にちょうど収まる程度の大きさ。あれには見覚えがある。英単語の辞書だ。多くの日本人が中学、高校の6年間「だけ」お世話になる紙の束。いま男は数度、合図をするかのように頭の上で辞書を振る。何か嫌な予感がした。とっさに私はここまでの状況をあの一句に即して整理する。

・鏡が映すべきものを映すべき形で映さない。すなわち、鏡にはそれに対面した私の顔が映るはずが、本来映るはずのない私の後頭部が映っている。すなわち、これは「鏡が反逆」しているということなのか。

・「星降る夜」。現時点ではまだ日中なので星の降る夜は訪れていない。

・残りの起き得ることとしたら、「辞書燃えて」・・・。

 鏡の中の男は今度はゆっくりと右のポケットからライターを取り出して、高くかざした辞書に着火した。古く乾いた紙だったのか。たちまち辞書は炎を上げる。すると男は鏡に向かって勢いよくそれを投げつけた。

 

(下)シャクヤク サステナブルガーデン

シャクヤク

クリンソウ

クリンソウ 山野草ガーデン

九輪花をつけるというのでこう呼ばれるが、小林一茶にクリンソウではなく四、五輪で終わるという意味の俳句があるように目安ということになるらしい。水辺を好む花のようだ。

鏡の中から外の世界へ、鏡の外から中の世界へ。二つの燃える辞書が見えない力に引き寄せられて鏡面で重なった。のんきな私は我孫子時代の志賀直哉の小品「焚火」における、あの有名な夜の湖に燃える薪を投げ入れるシーンを思い浮かべた。だがあれは小説の世界の話。鏡はたちまち火の海となる。石油の海に火を放った如くたちまち広がったオレンジ色の炎が容赦なく壁の一角を舐める。その時になって私はようやく後ろを振り返ることができた。だがもう誰もいない。あの長身の男は何だったのか。それよりこの火を消さなくては。鏡から壁へ燃え移り、ひいては家全体まで炎に飲み込まれてしまう。

 こういう時にただ上から水をかけるだけでは、不良少年をきつく説教した結果かえって鉄パイプで襲撃されるようなもので火はむしろ盛大に燃え上がってしまうから効果的ではない。濡れた布で燃えている対象を覆い酸素をシャットアウトし、さらに水分で火の勢いを弱めるというやり方が至当なのだ。そこで鏡をカバーし尽くすくらいの布と言えばシーツなのでそれを探し始めるがここにはない。隣の部屋である。さらにシーツをビショビショにするくらいの水分もこの部屋では確保できない。洗面所までは遠すぎる。

 そうこうしている間に鏡は既に燃え尽きようとしている。気づけば外は薄暗い。いつの間にそんなに時間が経ったのか。そしてどうやら辞書から上がった炎は鏡だけが目当てだったようで、不思議と燃え広がりはなさそうである。

 

(下)カキツバタ 花仲間ガーデン

真ん中に白い線が一本入るのがカキツバタ。黄色い網目模様ができて水辺に生えるのがショウブ。陸に生えるのがアヤメ。両者は同じ漢字で水辺か陸かで読み方が違う。加えてこれらよりやや小さいが花の形は近く、江戸時代には火災除けに藁ぶき屋根に生やしたのがイチハツだ。ああややこしや。

カキツバタ

サンショウバラ

サンショウバラ スモークツリーガーデン

葉がサンショウに似るのでこういう名がある。ただしにおいはほとんどない。

は濃さを増し室内はさらに暗くなる。鏡のあったあたりでおき火のようにチロチロくすぶる小さな火を見ているうち、私はまどろんできた。やがて鏡は完全に燃え尽きるだろう。だがとっくに名前を忘れてしまった誰かの退職祝いにもらった程度の鏡だから惜しくはない。違うものをまたかけるか、このまま鏡なしでも構わない。ただ壁紙は貼り替えなくては。

 目を閉じる。瞼がわずかに痙攣するたびに、ゆらぐ炎の色が小さく視界に侵入する。

 その時不意に窓の外から目を射抜くようなまばゆい閃光と、何億枚もの紙を一度に引き裂いたようなすさまじい音が飛び込んできた。耳の中を隈なく埋め尽くすようなその轟音は到底耐え難く、私は閃光が次第に闇の中に溶け込み遠くなっていくのを感じながら気を失った。

 

(下)ハンショウヅル 山野草ガーデン

ハンショウヅル

シラン

シラン(紫蘭) メディカルガーデン

翌朝、ラジオは近くの公園に隕石が墜落したとのニュースを一日報じていた。この間龍の玉の日に親子連れと遭遇したあの公園である。墜落の瞬間、何千もの長く尾を引く白い光が、後から後から空へ向って飛び立っていったという。まるで龍の大群のようだったと現場を見た人が興奮気味に話す声がラジオから聞こえた。あの俳句の通りの「星降る夜」であった。随分大きく近所迷惑な「星」であったが。

(続く)

カンパニュラ涼姫

(上)カンパニュラ涼姫(すずひめ、品種名) 花仲間ガーデン

語られざる俳人・4(4月26日)

(下)サクラソウ さくら草ガーデン

今年はとてもよく咲いています。

サクラソウ

大輪を捨てよとダリアの茎が言う

 

ダリアの花は大きい。だが大きい花を持った茎は気の毒だ。大きい頭を持った子どもの首のようなもので、支えるのも一苦労。風に揺れたり雪や雨滴に押されて翻弄されっぱなしだ。おまけに花は注目されても茎など見向きもされない。だから茎は時折言いたくなるだろう。「その大きい花なんか棄ててしまって、一度茎の自分と代わってみろ」と。

 

 ノートの一部をそのまま転記した。奇妙なテイストの句である。ダリアが季語ということになるのだろう。九段下が書くように、ダリアの花はパッと目に付く大ぶりなものである。その分茎は目立たない。それはそうだろう。花は愛でられても茎が注目されることはふつう起こりえない。だが茎なくして花もない。切り身の状態の魚が海を泳いでいることがありえないように、花弁だけの花が花壇で咲き誇ることもない。茎の役割は重大だ。縁の下の力持ち、いやそれどころか生命線である。しかし風雨にさらされて嫌気が差したとしても、茎は決して花と代わることはできない。そういうものだ。そんなことを思っているうちに今ノートを開いて見ているこの部屋が大きく揺れ始めた。まさに風に揺られる嵐の中のダリアのようにゆらゆらと。時化の中の船はこんな感じなのだろうか。船で航海したことはないししたくもないが、なんでまた自分の部屋でそれに類した目に遭わなければならないのか。助けを求めるように窓の外を見た私の目に、不可解な光景が映った。

 

(下)ハナミズキ ハナミズキ通り

こちらも今年は見事に満開です。

ハナミズキ

  • オオヤマエンレイソウ

オオヤマエンレイソウ 花仲間ガーデン

千本、二千本、いやもっと大量のダリアが、野原の中でそよそよと揺れている。空には重い黒雲が垂れ込めている。ついさっきまでこんな光景は窓の外には広がっていなかったのに、今はそれが目に映る。ダリアという種類が持つ限りの様々な色の花が一面を領しているのだ。風が吹いているわけでもないのにダリアは揺れ続ける。音がしないメトロノームのように一定の幅で。自分の今いる部屋が揺れているので振幅はさらに大きく見える。すると不意に部屋の揺れが収まった。それと符牒を合わせたかのようにダリアに異変が起こった。

 

(下)リキュウバイ ペレニアルガーデン

リキュウバイ

ハナミズキ

ハナミズキ

ここまで全体が赤く見えるほどよく咲いているのはここ数年見たことがない。

一本のダリアの花がポトリと地面に落ちたのである。見えないハサミで切られたかのように、前触れもなく。それに続いて二本目、三本目とスローモーションのドミノのように、次々とダリアは花を落とし茎だけになってゆく。花は接地の瞬間跡形もなく消えてしまうのか、茎だけが残る。無数の色とりどりの花で覆われていた野原は、次第に味気ない緑の茎と葉が残る草むらと化し始めた。

 ダリアが花を落とし続ける中、誰かの声が聞こえてくる。

「あなたという人は、いい加減に限度というものをわきまえないのですか?!」

 中年の女性の苛立った声だ。叫びに近い。

「私がこんなにも懸命にお父様の残したこの会社と財産を守るべくお支えしているのに、あなたはうわばみのごとく全てを飲みつくすような行動を続けるのですね。」

応ずる声はなく、ヒステリックな叫びが続く。

「あなたは生まれがいい。苦労を重ねて這い上がってきた私のような人間の立場は決してわからないでしょう。爪に火をともすという言葉の意味がわかりますか?私の半生はまさしくそうした日々でした。ぎりぎりまで切り詰めていろいろなものを我慢し続けてここまで来たのです。でもあなたはそんなみみっちい明かりは嫌だとすぐ吹き消して、暖炉にどんどん薪をくべて全身を暖めようとする人なのです。これ以上切る薪がないことなど一向に構わずに。

 あなたは生まれつき花のような人です。私は花を支える茎のようなものだ。茎は茎として生まれた以上、花に養分や水分を供給する以外のことを望めないのか。いくら誰も見ようとしない醜い花でも茎は黙って忍従しなければいけないのか。本物の茎ならそうする他ないでしょう。ですが私は人間です。人間は自分の自由に行動できるんです。今日で私の茎としての人生は終わりです。茎を失くした花がこれからどうすればいいのか、あなたが一人でとくと考えるべき時がやって来たのです。」

 バタン、とドアが閉まる音がして、静かになった。窓の外のダリアは消え、私はノートを机の上に置いた。

 

(下)タイツリソウ 花仲間ガーデン

白花はやはり珍しいらしい。

タイツリソウ

モッコウバラ

モッコウバラ ローズガーデン

ほかのバラより少し早く咲き始めるモッコウバラ。今年は黄色も白もよく咲きそうな感じがする。モッコウバラはバラなのにトゲがない。あーら不思議。

  • クロフネツツジ

クロフネツツジ 花仲間ガーデン

気品漂うツツジの女王のようなつつじでした。

 

(下)ハナミズキ 白 ハナミズキ通り

ハナミズキ白花

イングリッシュデージー

イングリッシュデージー ヒーリングガーデン

白い花がみな天に向かって開いている。群生して咲くとやや迫力あり。

  • サクラソウ

次の日、昨日の位置のままのノートをめくると、この二つの句が目についた。

 

眠る子の手に温もりし龍の玉

龍の玉握り夢にて龍になる

 

この二句はペアとして作られたようだ。双子句とでも言おうか。見たところ奇矯な句とも思えず、むしろわかりやすい。やや感傷的な筆致で、俳句の解釈が書かれている。解釈と言うより鑑賞、もっと言ってしまえばエッセイである。全文をそのまま引く。

 

「冬にさしかかろうというある一日に、近所の森の中を歩いていると足元に紫色の小さな球体が見えた。何だろうと思ってしゃがんで見ると、この寒い時期にもかかわらず青々とした龍のひげの細葉の根方についた龍の玉だった。藍と紫が混じったような深く充実した玉の色。僕は子どもの頃、こういうきれいな植物の実が好きでよく集めたものだ。ヤブミョウガ、ムラサキシキブ、南天、ガマズミ、マユミ。それらを小箱に入れては、引き出しの中に大切にしまい込んでいた。艶と光沢を湛えた龍の玉を掌に転がしていると、これを宝物のように握り締めていつの間にか眠ってしまった子どもの姿が思い浮かんだ。秋の夜風にさらされて冷え冷えとしていた龍の玉は、今は暖かい子どもの手に握られて熱を帯びている。これを龍の玉だと教わった子どもは、当然「龍」という言葉を意識するだろう。龍の落とした玉、あるいは龍がそこから孵化する玉。連想は夢の中でさらに羽を伸ばし、いつしか自分が龍になっていることに子どもは気づく。まだ生まれたばかりの幼い龍。雲を追い越し、天の果てを衝くように、ずんずんと空を駆けてゆく。」

 

(下)オダマキ ロックガーデン

きれいな造形の花だがうつむいて咲くので撮影者泣かせな花だ。

オダマキ

この俳句の解説はここで九段下道裕が書く通りと言っていいだろう。これ以上付け加えることもなく、あっさりときれいで誰もが理解できそうな世界である。

 ポトン、と机の上に何かが落ちた。天井から降ってきた。青く艶やかに光る玉である。龍の玉だ。こうやって間近に見るのは案外初めてかもしれない。指でつまんで目の前に持ってくる。全体を見ようと指先で回すと、反射した蛍光灯の白い点が玉の上を転がる。結構きれいである。集めようという気持ちもわからなくはない。それにしてもタイミングよく落ちてきたものだ。ポトン、とまた音がした。机の上にはまた龍の玉が。と、後から後から降って来て、しまいに洪水のような量がザアッと落ちてきた。一粒一粒は大した大きさではないが、こうも大量では痛い。息ができなくなりそうだ。隣の部屋に続くドアは早くも龍の玉の堆積で塞がれている。退路を絶たれた。だが私の危機などお構いなしに龍の玉の襲来は続く。誰かが天井に穴を開けて、巨大な袋一杯の龍の玉を落としこんでいるかのようだ。こうなったら窓から出るしかない。私の部屋は一階なので窓から飛び降りてもどうということはない。窓にたどり着き、龍の玉に打たれながらやっとのことでこじ開け、這い出すことに成功した。龍の玉の洪水は室内だけのことのようで、外は何ともない。服を見ると、潰れた龍の玉のせいであちこち青い斑点ができている。それにしてもどうやって部屋の中に戻ったものだろうか。

 

(下)ミヤコワスレ 山野草ガーデン

ミヤコワスレ

ハンカチノキ

ハンカチノキ まきばガーデン

すぐには名案が思い浮かばなかったので、その辺をぶらぶら歩くことにした。公園の前を通りかかると親子連れが向こうから歩いてくる。子どもは五歳くらいの男の子だ。母親らしき女性と右手をつなぎ、左手は握りしめている。すれ違いざま男の子が女性に話しかける声が聞こえた。

「コンヤハコノママコレヲニギッテネルンダ。ソウシテネムレバユメノナカデ・・・」。

 それを聞いた女性は急に子どもの手をふりほどくと、来た道を戻っていったが、男の子はそのまま左手を握りしめ少し振るようにしながら歩いていき、角を曲がって見えなくなった。

 空を見上げると、ジグザグ形をした長細い白雲が夕日に染まる空に浮かんでいた。実物を見たことなどないが、龍のような雲であった。口をカッと開き、小さな雲をひとつ吐き出したばかりの形である。しばらく眺めて、私は帰ることにした。

(続)

ラミウムとコンフリーの小道

ヒーリングガーデンの入り口にはこのように森の中の小道のような雰囲気漂う一画がある。

左手には黄色いラミウムの花、右手には白のコンフリー(ヒレハリソウ)の花が植えられている。

木漏れ日が差し込むと、まさに初夏の森の中のよう。

語られざる俳人・3(4月5日)

花仲間ガーデン サラサモクレン。

花弁の表は薄紫、内側が白い。

サラサモクレン

(承前)

この「句帖」ノートは、俳句ばかりが書かれているのではなく、九段下自身による自作への解釈・鑑賞文も俳句の下や隣に付加されている。しかし全ての俳句にそういったものが付されているわけではなく、ただ俳句だけのものや要点だけが箇条書きで伴っているものも多い。

「今のそちらの話でこのノートがどこからどう出てきたのかはある程度わかりました。でもよく考えれば、このノートは上新庄駅の遺失物係から警察の手に渡ったわけですよね?とすれば捜査資料ということになるんじゃないんですか?どうやってそれをそちらの古書業者が入手して、さらになぜ私のところに送られてきたんですか?」

私としては至極当然の疑問。ことと次第によっては犯罪の証拠物件かもしれない。面倒なことに巻き込まれるつもりはない。

「いやあ、それはちょっと言いにくい部分だし長い話ではあるんですが・・・」と渋る事務員。

「いやいや、こっちが頼みもしないのにそちらが一方的に送りつけてきて今現在私の手元にあるんですよ、このノートは。ちゃんと故事来歴は明かしてもらわないと薄気味悪いじゃないですか。もし不正な手段でそちらが手に入れたものだとしたら、私までとばっちりを受けかねないでしょう。それに今の時点でこの話は十分過ぎるほど長いと思いますけどね。」

 

(下)チョウセンレンギョウ スモークツリーガーデン

レンギョウ

シャクナゲ

シャクナゲ 開花直前の形。燃えるたいまつのようで面白い。

リキュウバイ

リキュウバイ スモークツリーガーデン

  • キクザキイチゲ

(上)キクザキイチゲ 花仲間ガーデン

「菊咲き」の名のごとく菊のように花弁が重なって咲く。

 

 

「故事来歴・・・なんと話し言葉でそんな単語を聞いたのは生まれて初めてですな。イヤ実は忘れがたい思い出なんですが、私がはるか昔高校生の時、隣のクラスの担任の男性教師だったんですが、一風変わった人でしてね、何だか知らんが自分はもうすぐ魔法使いになる年齢なんだとかよく言っていましたが、ある時の学年集会でしたかね、生徒を二列だか三列に並ばせる時にこの教師が、「皆さん、列を形成してくださーい」と張り切って言っていたんですよ。「形成」ですよ?そんな固い言葉を日常の会話で使っている人は初めて見ましたね。ふつうに「並んでください」とか言えばいいものをなぜよりによってその言い方を選んだものか。もっとも生徒はみんな無視していたので、会話としては成立していなかったわけですがね・・・。あ、また無駄話をしてしまった。ええと、ノートをどうやって我々が手に入れたか、でしたね。実はですね・・・。」

と始まった彼の話はまたもや要点の掴みづらい長話だったので、簡単にまとめよう。警察としてもノートの持ち主と行方不明届の届出人が、共に九段下道裕であることまでは突き止めた。しかしそれ以上踏み込んだ調査はなされなかったという。一つは九段下には家族や身内がいないらしいことから、彼はそもそも社会的に行方不明のようなものであり、切実に誰かから帰りを待たれているわけでもないと見込んだため。冷血な判断である。もう一つはどうもこの届出には自作自演のにおいが付きまとうことから、愉快犯的なイタズラであり、放置するに任せるべきだ、と考えられたため。これはわからなくもない。

「そうこうしているうちに、ホラ覚えておられますかね、京盤線の車内で連続不審火事件が立て続けに起こりましたね。何でもどの現場でも異様に背の高い男が目撃された、ということですが・・・。あれの捜査に警察もかかりきりになってしまって、九段下事件、まあこう呼ばせてもらいましょう、どうもこちらの方はお留守となってしまったそうでして。そのうちに年度末の捜査書類や資料の廃棄処分の時期が来た時に、このノートも一緒にお役御免となったらしいのです。まあ万が一に備えてマイクロフィルムにはされたと聞きましたがね。」

 

(下)ハクモクレン ヒーリングガーデン

遠くから二本並んで満開の姿を見るととてもきれいだ。

ハクモクレン

ヒトリシズカ

ヒトリシズカ 山野草ガーデン

カタクリ

カタクリ 花仲間ガーデン

  • カンアオイ

カンアオイ 山野草ガーデン

地面につくようにして咲いており、極めて目立たないが、冬の時期からこのまま春になる。

 

 

 

(下)山野草ガーデンの桜(ソメイヨシノ)

山野草ガーデンの桜

スノーフレーク

スノーフレーク 花仲間ガーデン

「銀蘭水仙」やスズランスイセンの名も。割とどこにでも咲く花で、街中でも普通にみられる。

スミレ

メディカルガーデンの枕木の隙間にたまった土からスミレが生えた。「ド根性」なんて暑苦しい呼び名は似つかわしくない。

ということは本来、上新庄駅の遺失物保管庫での2週間が過ぎた時点でそうされるべきであったように、ノートは廃棄されるはずだったのだ。しかしここで古書業界のあるディープな領域が顔を出す。それが通称「直筆班」だ。

「班」と呼ばれるが、別にグループや徒党を組んでいるわけではない。漠然とした緩いサークルのようなものだ。他のもっと適当な呼び名がつけられないまま定着してしまったのだろう。しかしこの人たちが新たな「獲物」のにおいを嗅ぎ付ける嗅覚は恐ろしく鋭く、また情報の共有も早い。彼らは他人の書いた「直筆」に異常なほどの関心を示す。人それぞれ字は違う。同じ字でも人によって書き順やバランスやとめやはらいまで様々だ。

直筆へのこだわりというとすぐに思い浮かぶのは作家の原稿や各種著名人のサイン色紙の収集が代表的なものであろうが、「直筆班」の人々の嗜好はそういったものとはかなり違う。彼らの間では、むしろ無名の一般人が何気なく書いた「直筆」に関心が持たれることが多い。例えば街中で通行人に、ある場所への行き方を訪ね、そこまでの地図を書いてもらった紙を集める人もいる。それも書いた人の年代や性別によって取引される値段も変わり、何を求めるかによってコレクターの経験値も垣間見えるらしい。

もっとも人気があるのは五十代から六十代くらいの重役タイプの書いたものだ。こういった階層の人々はその地位からして、既に実務的な仕事からは離れていることが多いため、ペンを持つ手も覚束なく、かえって子どもが道を教えるような初々しさがその筆跡からうかがえて、コレクターの琴線に触れるのだという。ここまでくれば、明らかに一種のフェティシズムである。

「直筆班」の中でも人名として使われる字に執着を持つ人は、この世界の深奥を究めていると見なされる。自分の名前の一部として数十年間その字を書いてきた人と、日常生活でごくたまに使うだけという人との間で、その字に対する認識や思い入れに変化はあるのか。それは文字の表面上に現れるものなのか。半世紀に渡ってそういったことを調べ続け、著作集まで刊行している人もいるそうだ。

つまりは九段下道裕の「句帖」ノートは、この怪しくも奥深い世界の網に引っかかったのである。

 

(下)ショカツサイ 南門付近

毎年春には一面がこのようにショカツサイで埋まる。

ハナダイコンやムラサキハナナとも呼ばれるきれいな紫色の花。

 

ショカツサイ

イカリソウ

イカリソウ 山野草ガーデン

この写真ではさほどではないが、船の錨のように両端が持ち上がるためこの名で呼ばれる。

アシビ

アシビ(馬酔木) 花仲間ガーデン

白花がずらりと並んでいると、小さな鈴の行列のよう。

  • 桜

(上)桜 サステナブルガーデン ヒカンザクラか?

 

「冗談みたいな名前ですが、文字さんという人がいます。文字さんはその世界では超やり手のバイヤーでしてね、何でも都内の集客の多いファミレスなんかに自分の息のかかった人間を定期的に送り込んでいるんだそうです。で、彼らが本来の業務以外に何をしているかっていうと、入口で順番を待つ客が自分の名前を書いておく紙、あれを繁忙時間帯に乗じてこっそり回収しては文字さんに渡しているということなんです。まあ興味のない人には呆れた話でしょうが、ああいう代物にもマニアというものはいましてね。「直筆班」の中では「待ち子さん」と呼ばれていますが、確かに一面にお互い全く共通点のない人々の名前の直筆が延々と書き連ねられる不思議といえば不思議な紙ですから、時として紙ペラ一枚で車が買えるくらいの値がつくこともあるそうなんですね。殊に最近は紙ではなくタッチパネル式に移行している店舗が多くなりましたから、余計希少価値も出ているそうで。上手くすればファミレスの時給よりよほどいい割り前をもらえますよ。で、話は戻りますがその文字さんがある時うちの社長のところに持ってきたのが、あの九段下道裕の俳句ノートだったんですよ。最近うちの社長もああいうジャンルに興味が出てきたらしくてですね。あなたご存知か知らないけども、渋谷に他人の手帳ばかりを集めた小さな図書館があるんですよ。いろんな人から使用済みの手帳や日記なんかを回収したり寄付してもらったりして作ったそうなんですが、一般にも公開しているんです。もちろん全て直筆で書かれているもので、とてつもなくディープな世界ですが結構人気があるようですな。あれに社長いつだったか仕事をサボって行ってきてから直筆に目覚めたらしくて。で、文字さんを通じていろいろ入手しては、いずれ自分でもマーケットに参入する目論見みたいなんですね。あ、これは現在進行形の話でして。だから他言は控えてほしいんですけれども。」

「そのファミレスに関する話はちょっと小耳に挟んだことがありますよ。でもいずれ都市伝説だろうと思っていましたが、本当にある話なんですね。・・・それにしてもそのバイヤーの人は、本当にそういう取引だけで食べているんですか?」

「私もそう思って聞いたことがありましたが、何でも本職は政治学者だとか言っていましたね。」(マスジマが調べたところ、「文字さん」は政治学修士号所有者であり、学位請求論文は「ポルトガル第一共和政期における首相執務室備品配置の変遷について」であったとのことだ。後日彼がハガキで連絡をしてきた)。

 

(下)クスノキの下にスミレが咲いていた。春の木漏れ日を浴びてのどかそうだった。

スミレ

イチリンソウ

イチリンソウ 花仲間ガーデン

一つの茎に一輪つくのでイチリンソウと呼ばれるが、平気で二輪、三輪とつけているものもある。しかも「ニリンソウ」という別の種類もあるから大変ややこしい。

ウスバサイシン

ウスバサイシン(薄葉細辛)

カンアオイのように地に這うように咲く花。根を薬草として使用。

「そちらの内部事情は承知しましたが、その文字さん、ですか、その人はどこからノートを手に入れたんでしょうか。」

「そこが今ひとつ謎なんでね。まあ大体ああいうやり手の人っていうのは本人も忘れちゃうくらいいろんなルートを持っているものですからね。そしてそれを他人にしゃべるものじゃありません。警察に伝手があったのか焼却場に知り合いがいたのか。推測としてはそのくらいのところでしょうか。ああそれで先回りして言っておくと、社長としては別に俳句に興味があるわけじゃなし、文字さんもこの九段下氏の字がユニークだということで持ってきたそうなんですよね。で、とりあえずその辺に置いていってくれということで机の上に放置されていたのが、いつの間にかあなた宛の送付物に紛れ込んでしまったということなんでしょうなあ。」

「結局わからないということですか。」

「長々と話してきましたが、要はそういうことになります。まあ、がさばるものでもないでしょうし、警察が追求してくることもないと思いますから、あなたの方で持っていらっしゃったらどうでしょうか?あ、でもそのノート、どうも変なところがありまして。実はうちの社長は何か、いわゆる「感じてしまう人」のようでしてね、見たところただのオヤジですが、そのノートをもらった翌日から一週間38度の熱を出して寝込んじゃいましてね。復帰してから「あのノートには近づきたくない」って呪文のように唱えてまして。それから社長が発熱した翌日だったかな、ある社員が会社の前で「信じられないくらい」背の高い男を見たって言ってました。私は何も見ませんでしたし、特にあのノートが身近にあっても変な感じはありませんけどねえ。まあひょっとしたら何かないとも限りませんから注意してくださいね。また何か気になることがありましたらお電話ください。あ、申し遅れましたが私はマスジマと言いますから。それではまた、アデュー。」

なぜかフランス語で「さよなら」を言い残して、電話は切れた。


(続)

通用門側駐車場の桜

桜 通用門側駐車場

桜は見る時間帯によって異なる顔を見せる。朝、昼、午後、夜。その時間によって日光の微妙な加減が花弁に反映して、淡く時には深く陰影を刻む。夜にはライトアップされた夜桜。このような楽しまれ方をされる花もそう多くはあるまい。

語られざる俳人・2(3月18日)

ヒーリングガーデン アネモネ

アネモネ

(承前)

ノートの持ち主とは、未だ若い一人の俳人であった。と言っても一般的な知名度は皆無である。昭和中期から平成にかけて北関東を中心に勢力を持った俳誌『冬幻花』に在籍し、有力な新人に与えられる「檀香賞」も受けた。したがって俳句の世界では多少は知られていたのではないだろうか。しかし数年前、『冬幻花』は主宰者の死去に伴い終刊となり、同時にノートの主の発表場所も失われた。以後、彼の消息も絶えているという。

 彼、と先に代名詞を持ち出してしまったが、「句帖」の作者は男性であった。だらだら説明するより早いので、その他の情報を箇条書きにすると、

 

 九段下 道裕

 1987年~消息不明

 岡山県出身

 

箇条書きにするまでもないがこれくらいしかない。なお「九段下」は筆名で、本名は「平岡」というらしい。真偽は不詳である。下の名前は「みちひろ」と読むのだろうが、これまた筆名なのか本名なのかはっきりとしない。「自分、というものを前面に出すのをひどく嫌っていたようですね、この人は。よほどシャイか人嫌いだったんでしょうな。」と電話をかけてきた古書業者社員は言う。

 

(下)ヒーリングガーデン ハクモクレン

ハクモクレン

ダンコウバイ

ダンコウバイ 花仲間ガーデン

次のサンシュユと似ているが、こちらのほうが粒が小さく色も鮮やか。シナマンサクもそうだが、春先は先端に黄色い花弁がこちゃこちゃと群れをなしている花をよく見る。

サンシュユ

サンシュユ ハナミズキ通りの内側

3メートルほどの大木に成長している。遠くからなのでよく分からないが、近くで見るとスパークしたように花弁がこちらに向かって突き出ている形でユニークである。

 

しかし表現する者にとって重要なのは、当人の個人情報より作品そのものだ。それさえ伝われば、本人についてわからずじまいでも構わないし、本当は実在しない人だったというパターンもまた面白い。かつての石川淳のように、登場するまでの経歴を自らほとんど明かさなかった表現者もまれにいるが、そういう人の姿勢からは、表現したものだけでおのれを判断してくれという潔さを感じられて、私は強く惹かれる。作者が生年や性別を公表する必要もない。「生年は1987年から1996年の間のどこか。どこを選ぶかは読者の自由」というスタンスを取る作者がいないのが私は不思議である。「作者」その人の存在感をどうプロデュースするかも含めて、その人の表現となるのだ。

さて、ここまでの経過を見ても明瞭なように、九段下道裕は意図的に自らの情報をベールに包んで活動していたらしく、例えばなぜ岡山生まれの彼が北関東に地縁を持ったのかも確かなことはわからないらしい。生年の「1987年」は、彼が『冬幻花』誌へ加入する際に提出した書類に記載されていたということだが、俳誌自体の消滅に伴いそうした資料類も処分されたとのことで確認は不可能に近い。そこまで言えば岡山出身という情報も正しいのか怪しくなってくるが、案の定これも客観的な証明は難しいとのことだ。21世紀の人間にしては珍しく、顔写真も全く残っていない。ただ非常に背の高い人物だったということは伝わっている。

ノートを発見した上新庄駅では、規定に則って2週間の間遺失物として保管していた。だが3ヶ月もロッカーの中で眠っていたくらいだから、そう簡単に持ち主の現れようはずがない。拾得から2週間経つと全ての遺失物は処分される。当然高価でも重要でもなさそうな使い込まれたノートだから、他の遺失物と一緒に焼却場の煙と消えて一向に不思議はないはずであったが。

「ちょうどその時駅の定期的な巡回警備に来ていた警察官がそのノートに目を留め、預かっていくと言って持って行ったそうなんですね。」再び古書業者社員の話である。こうして謎の「句帖」ノートは警察の手に渡り、中身や持ち主を精査され、先ほど挙げた一連の情報がわかったということらしい。

 

(下)3月中旬の梅園 ほぼすべての梅が咲きそろい「爛熟」といった感じであでやかだ。

梅園

ウンナンオウバイ

ウンナンオウバイ せせらぎ通り

  • スミレ

(上)スミレ 花仲間ガーデン 花壇の片隅から芽を出し花が咲いていた。

 

「後で聞いたところでは、ノートの字、あなたも手元にあるのをご覧になればおわかりいただけるかと思いますが、一種独特なクセのある字ですよね。この字と全く同じ字で書かれた行方不明届が1ヶ月ほど前に警察に出されたそうで。調べたところ、ノートの字と完全に一致したそうです。ところがこの届出に書かれた行方不明対象者の氏名欄には「九段下道裕」とあったということで。要はこの人は自分で自分の行方不明届を出したらしいのですね。届出人には別の名前が書いてあったそうですが、たぶん架空の名前だろうとのことです。もっとも九段下道裕というのもこの人の本名ではなさそうなんですが。」

行方不明届の字と俳句でびっしり埋められたノートの筆跡が同一人物のものであるらしいことから、当初警察は届出人として書かれた名前を元に結社に所属する俳句関係者に焦点を当てて調査を進めたが、その名前では該当者がいなかった。そこで機転を利かせた捜査員の一人が、行方不明対象者、すなわち九段下道裕の名前を同様に探したところ、かつて俳誌『冬幻花』に属して俳人として活動した同名の人物の実在が確認されたが、ここ数年というもの、彼の消息は途絶えていることが判明した。

ややこしくなってきたので、一度ここまでの状況を整理する。

・俳句の書かれたノートと行方不明届が同じ字で書かれている。

・しかし届出人の名前(仮にAとしよう)では俳句関係者に該当者はいない。恐らくAは実在の人物ではない。

・ただし行方不明の対象者(すなわち九段下道裕なる人物)では同名の俳人がおり、実際行方不明となっている。

・つまり行方不明者本人が自分の行方不明届を出した。そして筆跡が同じことからノートの筆者=俳句の作者と考えられる。

一説によると、警察は『冬幻花』主宰者の未亡人にも連絡を取ったという。しかし未亡人は既に老齢で介護施設に入所しており、情報を聞き出すのが簡単な状態ではなかったそうだ。間もなく亡くなったとのことである。所属していた同人の個人情報は終刊時に主宰者が廃棄しており、また九段下と同じくほぼ全員が姓名とも筆名に置き換えて活動していたことから、バックナンバーの投稿句を元にかつての同人を一個人として特定することも不可能に近いそうだ。

 

(下)ジンチョウゲ 王国通り

昨年環境省の「みどり香るまち」大賞の副賞として贈られ植樹したジンチョウゲが、今年きれいに咲きそろった。赤花が先で白のほうが後らしいが、マスク越しでもはっきりわかる芳香を放っている。これから大きく育って毎年花を咲かせるのが楽しみ。

ジンチョウゲ

イチリンソウ

イチリンソウ 花仲間ガーデン

  • シロモジ

(上)シロモジ 山野草ガーデン

 

「なんだかよくわからない人ですね。大体何年も消息のわからない人が1ヶ月前に行方不明届を出したってことは、案外その辺にいるんじゃないんですか?どうもクセが強そうな人物、という気がするな。」

ノートをパラパラとめくりながら私が思わず洩らすと、

「しかし自分で自分の行方不明届を出す人間というのは割りといるそうなんですね。どういう心理かよくわかりませんが。それに俳句をやっている人というのはなかなかどうして一筋縄でいかない人が多いですよ。いやあ、私にも苦い記憶がありましてねえ、苦くて苦くてとても「もう一杯」などと言えないような思い出でして・・・。」

と電話の向こうの男は何やら体験談があるようなのでつい聞くと、かつてとあるブログ上でふとした出来心を起こし「俳句サークル」に加入したところ、メンバーの一人の老人に見込まれてその「弟子」ということにされてしまい、「毎日ノルマ十五句」、「歳時記を一日一ページ暗記して破って食え」などとなんとかヨットスクールもびっくりのスパルタ教育を受けたそうで、すっかり辟易して一週間後にブログの登録自体を取り消したとのこと。それは賢明だっただろうがうっかり自分のプロフィール欄に勤務先の名前を書いていたのを忘れており、目敏くそれをチェックしていた「師匠」から職場にかかってくる「電話口での指導」を、その後2か月に渡って半強制されたという。

「お客様としてかけてくるから応答を逃れることはできず着信拒否も許されず、かといって会社を辞めるわけにもいかず、あの時はホント弱ったホトトギス・・・。」

なぜか下手な五七五で話を締める男。どこまで本気で弱っていたのかよくわからないが、世の中いろいろな人がいるようである。

 

(下)ハナミズキ通りのクルメツツジの足元に沿ってクロッカスがたくさん咲き並木道のようになっている。

クロッカス

アネモネ

アネモネ 花仲間ガーデン

アネモネは「しべ」の部分が黒っぽいので覚えやすい。黒目のように見えてくる。

アジュガ

アジュガ ヒーリングガーデン

  • タイリンミツマタ

(上)タイリンミツマタ ヒーリングガーデン

 

ノートの元の持ち主、すなわち九段下道裕が俳人としてどれくらいの力量があったのかわからないが、次の一つのことは明らかだ。それは、本名や出生地といった自分にまつわる情報を隠していたことにも表れているように、かなり独特のこだわりの持ち主だったということ。

私生活におけるそれは彼の人間像が不明である以上何とも言えないが、少なくとも俳句に関しては、次の一点を「こだわり」の最たるものとして挙げられよう。すなわち、彼は自分の俳句に必ず自分で解釈文を施すのであった。試みに図書館で借りてきた『冬幻花』誌のバックナンバーを開くと、他の同人に混じって九段下道裕の作品もいくつか見られるが、誰が見てもはっきり彼のものとわかるだろう。と言うのも、句のあとに必ず長々と自作の解釈文が続くからだ。数行で終わっていることもあれば、半ページほど費やされていることもある。たいそう譲らない自我を持った個性の強い人間であったのだろう。俳誌仲間からの冷たい視線があっただろうことは想像に難くないが、主宰者がなぜ彼のこうしたやり方を容認していたのか、また内心どう思っていたのか、今となってはわからない(ちなみにネットオークションでは『冬幻花』のバックナンバーは1冊2000円~3000円で取引されている。割と高めだ)。

伝えられるところによると、俳人は作句にばかりかまけて鑑賞力を置き去りにしている、というのが九段下の一貫した姿勢であったという。殊に自作の意味解説や解釈、鑑賞については最小限に留め、読み手に委ねるという俳人一般の風潮を彼は強く拒絶したようだ。恐らく九段下という人は、俳句は解釈や鑑賞文と複合することでさらに高次の表現物へ昇華すると見なしていたのだろう。だが作者自身が自作の解釈を限定することで、他にもありえるはずのその幅が狭まってしまうことの危険性には気づいていたのか。このノートを読む限り、その点はよくわからない。たぶんこの人は十七文字には収めきれないものを常に自分の内に抱いていたのだろう。一つの定まった形式の中で充足することには向いていなかったのだ。とすれば、そもそも彼には俳句という表現形式自体、無理があったとも言えそうである。だがそういう人だからこそよむことができた世界もまたあったはずだ。

(つづく)

梅

梅園の梅

語られざる俳人・1(3月7日)

(下)四つ子のようなシクラメン、奥にもひとり 花仲間ガーデン

シクラメン

現在、私の手元に一冊のノートがある。何の変哲もないただのキャンパスノートだ。私も学生として長いこと使った。ページの角はめくれ、他の書物か何かとこすれ合ってできたと思われる鰯雲のような黒い痕跡が表紙には幅広くつき、表面のデザイン部分は褪色が始まっている。かなり使い込まれているようで、くたびれている。B5サイズである。そして表題を書かれるべき薄く太い罫線の上には、たった一言「句帖」とある。

 ある日通信販売で一冊の本を買った。信州地方の業者から発送されたその小包が到着したのは注文してからおよそ4日後。手にした私は異様な感じを受けた。注文したのは一冊なのに、明らかに二冊分の厚みと重みを感じたのである。中を開けてみて、目当ての本と共に出てきたのが、この謎のノートであった。

 「句帖」とあるごとく、70ページほどのノートには俳句が書き連ねられている。俳句は通例縦書きであろうが、このキャンパスノートは綴じてある側面に向かって横に罫が走っているため、罫に従ってここでは横書きに並んでいる。金釘流一歩手前の、別段上手いとは言えない神経質そうな、だが他者にも読めるような字を書こうという意思は多少なりとも伝わってくる文字である。見ようによってはユニークかもしれない。それが、紙面のほぼ全てを埋めている。

 

(下)シナマンサク 空の一画に出現した黄金の洪水 さくら草ガーデン

シナマンサク

リュウキンカ
  • 紅梅

当然私はただちに古書業者に連絡し、注文したはずのないノートについて問い合わせた。なぜこんな得体の知れないノートが入っているのか。まさか飲み屋のお通しのように、頼んでもいないのに勝手につき出されて後で追加料金を取られるなんてことはないだろうな、と。

 問い合わせに応じた古書業者の社員は、私のやや被害妄想じみた言い分を聞いて鼻白んだようだが、事実は事実なので、奇妙なノートが私宛の小包に紛れ込んだいきさつを調べる、と高飛車な口調で請け合って電話を切った。

 

(下)白梅と紅梅が重なり合う

白梅と紅梅

ミニアイリス

ミニアイリス 花仲間ガーデン

  • 紅梅

「例のノートについてはっきりしましたよ。今からお話します」

 マスク越しと思われるモゴモゴした口調の声が受話器から聞こえてきたのはさらに3日後のこと。

 「あのノートは、もう何年も前から行方不明になっているある俳人が持っていたものなんです。」

 「まあ俳句が書いてある以上俳人が元の持ち主だろうということは自分でも検討がつきましたよ。どう見てもパチプロや水泳選手の所持品には見えませんからね。それでなぜそれが私宛の本に混入したんですか。」

 「ほっほう。あなたは独特のユーモアセンスがあるようだ。確かにスロット台を前にして字余りと字足らずとどちらが見栄えが悪いか思い悩むパチプロや、飛び込み台の上で小春日和が何月の季語にあたるかを熟考する水泳選手なんて、そうはいないでしょう。それはまあいいとして、まずはこのノートがどこから出現したかをお話しましょうか。先程も言いましたが、持ち主であった俳人はもう数年前から完全に消息を絶っています。それがわかったのも、元はと言えばこのノートが原因なんです。京盤線の上新庄駅はご存じ?あの路線一のターミナル駅ですが、あの東南の一画にコインロッカーが壁一面に行列しているエリアがありますね。あのロッカー一つ一つに鳥の卵を入れていくとしたら、最後の一つを入れ終わる頃にはもう一番目のロッカーでは孵化したヒナが扉を突っつく音が聞こえるんじゃないかというくらいたくさんありますよね。その中の一つでかれこれ3ヶ月も鍵をかけられたままのロッカーが見つかったんですよ。当然、無数と言えるほどの数があれば、荷物を入れられたまま忘却の淵に飲み込まれかけているロッカーがあってもおかしくない。だから三交代制で定期的に係員が見回っているわけですね。だってあれだけ大きな駅であれば、まっとうな人間も出入りすればお世辞にもそうとは言えない人間も出入りするでしょうから、ロッカーの中で眠っているのが「息をしている荷物」かもしれないでしょう?そのうち中から声が聞こえてきたりイヤな臭いが漏れてきたりするかもしれないし・・・。イヤ、かつてそういった事件も起きたそうなんですよ。詳しくは報道されませんでしたが。なのでどれだけ動きのないロッカーでも、ふつうは2週間もすれば開錠されるはずなんですね。それだって決して早いとは言えませんけどね。」

 

(下)リュウキンカ 山野草ガーデン

リュウキンカ

クロッカス

クロッカス ヒーリングガーデン

  • クロッカス斑入り

「ところが、ちょうど件のロッカーが使われ始めたと思われる頃、今までの三交代制が二交代制に変更になったんです。それでこれまでとは勝手が違うんで、係員間の引継ぎがうまくいかなかったらしい。ホラ最近の若い人、ああこの係員というのは大学生のアルバイトが多いんですけどね、若い人はSNSとやらのやり取りがコミュニケーションのメインになっているから、対面での意思疎通がすんなりいかないことが多いようで。イヤ、かく言う私だって「最近の若い人」の一人ですよ。まだそれほどのトシ、というわけでもないですからね。まあそれはそれとして、結局「あのいつまでも閉まっているB-437番ロッカー、ああこれがそのロッカー番号だったんですけれどね、あれは一体何なんだろう?」という疑問がなぜか棚上げにされたまま、3ヶ月も経ってしまったということなんです。ナポレオンがエルバ島から戻ってきてフランスの皇帝に返り咲き、再び失脚してセント・ヘレナ島へ流されるまでとほとんど同じ期間を、このB-437番ロッカーの中身は外部の世界を何も知らずに過ごしたというわけですよ。まったく、どうしてある特定のロッカーだけが開かずのままなのかと不思議に思うのなら、何かしら手段を使って調べるのが君らの仕事だろう、って思いますけどね。あ、もちろんこの君らっていうのはロッカー係のバイトたちのことですよ。バイトとはいえお金をもらって勤務しているのだから、それに見合った仕事はしてもらわないと。だって考えてもみてください、これが国鉄の時代だったとしたら、彼らのサラリーは我々のサイフから出ていることになるわけですからね。そうだったとしたらあっという間に「ゲルピン」になってしまうでしょう。あ、「ゲルピン」というのはですね、ドイツ語でサイフを「ゲルト」と言うそうで、それがピンチな状態になると大昔の学生は「ゲルトがピンチだ」などと気取って言ったそうでして、略して・・・いや、それはまあどうでもいいことですが、ともかくようやくのことで例のロッカーの長きに渡る封印を解いてご開帳をしてみたら、このノートが出てきたというわけでして。」

 

(下)ヒナソウ ヒーリングガーデン

ヒナソウ

スイセン
  • シクラメン

この男は日常業務によほど退屈しているのか私をおしゃべりのはけ口にしようとしたようで、なおも長広舌をやめようとしない。私は文字通りほとほと閉口した。こちらが口を挿む間もない。それでこれに続く彼の話から、ノートの持ち主について手早くまとめることとしよう。

(つづく)

閑日つれづれ帖・3 (2月15日)

2月10日(木曜日)、久しぶりに雪が降った時のハナミズキ通り。以下雪景色の写真はすべて同日撮影。

ハナミズキ通り 雪景色

日本の英語教育に欠けているもの

 日本の英語教育が文法偏重で会話学習がなおざりにされているという指摘はもう聞き飽きている。そんなの当たり前のことだ。早い話が英語の授業で習った文法などもうひとつも思い出せやしない。前置詞や副詞や不定詞などと言われても、日本語のそれにあたるものすらあやふやなのだから、英語のなど言うも愚かといったところなのだ。

 ついでに言えばどんな教師に英語を習ったのか、それすらほぼ全く思い出せない。個性的な人に習えば多少は記憶に残ったかもしれない。

 私は日本人、外国人を問わずよく道を聞かれる。旅先でも地元民と見なされて聞かれるのでよくよく私のような姿かたちの人間は国中どこにでもいそうに思われるのだろう。それに私はふだん必ずしもとっつきやすそうな雰囲気を発しているわけでもないので、なぜこうも度々道を聞かれるのか、不可解である。人はどういう人間なら道を聞いても良さそうだと判断するものなのか。私は極力自分で歩きたいタイプなのでよくわからない。

 外国の人に道を聞かれるシーンが何度あったか、もはやよく思い出せないが、横浜とお台場と京都の時は今でも覚えている。最初の二回は何とかその役を果たせた(と思う)。問題は京都の時だ。

 あれは11月の夜9時ごろだった。道を歩いていると、向かい側から若い欧米系の男女が歩いてきて、スマートフォンを差し出して私に何かを言い始めた。見ると画面には地図が映し出されている。二人の目当てと思われる建物にくっついているフキダシからして、どうやら外国人向けのゲストハウスらしい。京都は周知の通りどこを曲がっても同じような碁盤目状の都市だから、夜の暗さもあって迷ってしまったのだろう。

 とは言え私もよく(というかほぼ完全に)わからない。大体私は鉄筋で補強されているのではないかと我ながら訝しくなるほどの方向音痴だ。だからと言ってここで邪険に扱うことで(彼らがどこの国籍だか知らないが)日本との二国間関係にヒビが入ってしまっても困るので、不得要領ながらも「教え」ようと試みたのだ。偉かったと思う。

 ところがしばらく問答を繰り返す内に、女性の方はしびれを切らしたのだろう。突然両手を広げると私を制するようにして言い放ったのである。

 「オーケー、オーケー」。

 その響きからは「お前がアテにならないことはよおくわかったからもういい、これ以上しゃべるな。」という意味合いが露骨に感じられ、彼女の声音は昨日聞いた如く、未だに私には印象鮮やかなのだ。ということは、「言葉はわからなくとも気持ちは伝わる」という何だかウィー・アー・ザ・ワールドみたいな世界観へと話は展開していきそうだが、そんなことはどうでもいい。

私はこの経験から、日本の英語教育にはまず「将来外国人に道を聞かれそうな生徒を見抜く目を教師に養わせること」が必要だと声を大にして言いたい。

 

(下)雪の中でも梅は咲く。すなわち雪中梅。

雪中梅

  • 雪景色

しることあんこと楽太郎

 ある人から「しるこサンド」をもらったので、ヒマな時などに食べている。とても地味な菓子だが地味ながらに飽きを感じさせない。たぶんロングセラーの商品である。自動販売機の「おしるこ」を冬になると必ず見かけるように、日本人の琴線に触れる「ソウルフード」としての存在感を彼らは湛えているのだ。

 ところで「しるこ(汁粉)」という言葉にはどこにも「あんこ」という要素を感じさせるワードが入っていないのが私は常々不思議である。「汁」はともかくとして「粉」というのは何を指しているのだろうか。あんこは大豆などを潰して作るが(かろうじてそれくらいは私も知っている)、大豆の中身は粉状だということを表しているのだろうか。「しるこ」という名前を初めて聞いた人は、たぶんその言葉からああいう形状の食べ物を連想できないはずである。しかし一度食べてしまえば、聞いた瞬間ただちにトロリとした甘い汁と、茶色い海にプカプカ浮かぶ餅のかたまりを思い浮かべずにはいられないだろう。刷り込み教育のたまものである。よく知られている通りしるこは関西では「ぜんざい(善哉)」と呼ばれるが、これもおよそ「あんこ」からは程遠いネーミングである。それでも一度ナントカと名付けられてしまえば、どれほどそれ本体が持つイメージからはかけ離れていようとも、いつかは定着していくのだ。とは言え私の中では今でも三遊亭円楽は「楽太郎」のままである。

 

(下)朝露をまとってうるわしいロウバイ サステナブルガーデン

ロウバイ

よく遊びにくる猫トラ吉

よく遊びに来る猫その1 通称・トラ吉

  • アネモネ

アネモネ(温室のガラス越しに)

 

(下)園内各所でフクジュソウが咲くが、これはカエデ通り梅園に咲くもの。日当たりの関係か午後にならないと良く開かない。

フクジュソウ

ロニセラフラグランティシマ

ロニセラフラグランティシマ 牧場ガーデン

名字の由来

 日本人ほど名字(苗字)の多い民族は世界でも稀らしい。私は別にナショナリストではないので、それをもってわが民族の優越を誇る気なんかこれっぽっちもないが、何事も少ないより多いほうが面白そうである。そうかと思えば世界には名字に対して独特の観念を持っている国もあるらしい。例えばアイスランドはその一つだ。この国の人は父親の名前(ファーストネーム)の下に、自分が男なら「ソン」、女なら「ドッティル」をつけて名字の代わりとするらしい(それぞれ息子と娘を意味する)。アイスランド人と友達になる機会がある人には耳寄りな情報だろう。

 私の名字はごく平凡だ。高校時代、やはり私と同じ名字の人間が数人いて、中の一人は中学の頃同じクラスに同姓の生徒が6人いたと言っていた。先生がどう区別をつけていたか気になるところである。多い名字は大体その由来も連想できる。田中さんは田んぼの真ん中に住んでいたのだろうし、水野さんは出水しやすい野原で仕事をしていたのだろうか。竹村さんは竹で知られた村の住人だったのかもしれないし、米原さんは先祖代々米農家だったのだろう。全部デタラメである。

 とは言えほとんど馴染みのない名字でも由来を聞けばなあるほど、と思えるものも中にはある。たとえば「小鳥遊」さんだ。これで「たかなし」と読むそうだが、タカを天敵とする小鳥たちが遊べる場所だから「鷹無し」ということになるらしい。筋は通っている。私はこれくらいしか知らないが、いろいろ調べてみると結構面白いだろう。将来その名字に改姓する可能性だってなくはない。そんな私が目下気になっている名字は「能勢(のせ)」さんである。これは何がどうしてこの字面になったのか。とても興味深いところである。

 

(下)セツブンソウ 花仲間ガーデン

 今年は去年よりも数がやや少なめに見えるが目の錯覚で結局同じくらい咲いているのかもしれず。

セツブンソウ

よく遊びに来る猫その2

よく遊びに来る猫その2 通称・シロ

  • 雪の中のホース

ホースが雪の中で移動した痕跡

 

(下)猫柳 花仲間ガーデン池の周辺

猫柳

蘇った犬

 壮年のゴヤが自宅で「黒い絵」と呼ばれる一連の陰鬱な絵を描き続けたことはよく知られる。宮廷画家としての栄華が過去の栄光と化したことに加え、耳が聞こえないという状態(ゴヤは50代で聴力を失った後およそ30年生きた)が、鬱屈した画家の精神にこの世ならざる不気味な景色を描かせたのだろう。

 私がその中で特に好きなのは「砂に埋もれた犬」という一枚だ。全体的にベージュ系統の色で覆われた縦長の画面の下半分に崩れかけた砂の山が描かれ、その中から辛うじて横顔を出した犬が前を見ている。それだけの絵だ。犬の目は恐怖に見開かれているようで、画面の右手に向って傾斜しつつ高くなっていく砂山が、いつ自分に向って崩れてくるか、その予感に脅えているかのようだ。

 しかし私はこの絵を見るたび希望のようなものを感じる。この犬は世界の破局が終り、地上の生物全てが死に絶えたあと、一人(一匹)だけ生き残り、今仮死状態から蘇ったばかりなのだ。そう思えばこの砂山と同一化しそうなぼやけた背景も、夜明けの薄明を表す色と見て取れるだろう。犬はやがて長い時間をかけて砂の山から自分の身を助け出し、自分以外の全ての生物が絶えた世界を彷徨することとなる。それは大いなる新たな物語と希望の始まりと言っても良さそうだ。もっとも仮にゴヤがこういう意図の下この絵を描いたのだったとしても、犬の目に宿る無感情の光はただ一人生き残った者の恐怖を示しているのかもしれないが。

 

(下)あかり展で夜のひろばに輝いた陶器の家も雪化粧

雪の中の陶器の家

フクジュソウ

フクジュソウ(カエデ通り梅園)

 

  • 雪中梅

ラインの法則

 体育館の床にはさまざまな色や形のラインが無数に引かれている。直線もあれば円や直角線もあり、しかも互いにもつれ合うかのように上や下に重なって引かれ、一言で言えばめちゃくちゃな有様だ。ああいった線には規格や法則性のようなものが存在するのか、私は長いこと気になっている。体育館は多くの場合スポーツ目的で使われるが、どんな競技がどんな使い方をしたとしても対応できるように、あれほど乱雑極まる引き方が成されているのだろうか。日本体育協会だかスポーツ庁の見解を聞きたいものである。

 ところで私は子どもの頃、このラインで妙なひとり遊びをよくしていた。ある特定のラインを決めて、その上だけを歩かなければひどい目に遭うというようなものである。畳のへりで似たようなことをやった人もいるのではないか。そうして平均台の上を歩くように、あるライン上だけをバランスを取って歩いていくのだが、これがなかなか難しい。おまけに途中で途切れていることもあり、その時はどうしていたのかもうよく覚えていない。大方違うラインに乗り換えていたのだろう。

 ちなみにラインから脱落した場合の「ひどい目」とは、「上から回転する鋭利な刃物が落ちてきて足を切り裂かれる」というものだった。ちょうどこの頃に「カマイタチ」の話を誰かから聞いていたので、それが猟奇的に変形してライン歩きとドッキングしたのだろう。子どもはよくわからないことを考えるものだが、大人になった今でも、私は「やっぱりそういう目に遭うのではないか」と思い続けているフシがある。

閑日つれづれ帖・2(1月28日)

(下)梅園の梅もちらほら開花を始めました。

梅

  • 梅

歴史に学ぶ

「オレは過去を振り返らない」と言っていた男がいた。中学3年生の頃のことである。その年代の男子なら一度は口にしてみたくなるクールなセリフだったのかもしれないが、年齢的に振り返るに値するほどの過去をまだ持っていなかっただけのことだろう。或いは社会のテストでひどい点数を取った腹いせか。

 しかし今までに経験したことのない事態に直面した時、過去にも同じことが起きていたのではないか、そしてその時人はどう対処したのだろうかと気になるものである。歴史に学びたくなるわけである。この世界的な「コロナ禍」にあって、そういう思いに駆られた人は少なくなかろう。私もそうである。

 多くの人と同じく私にとって、「ワクチンを打つべきか否か」というのは大きな問題であった。なにせ打つ前から副反応についてうんぬんかんぬんされている。ナーバスになること請け合いである。そんな時、およそ100年前に流行したインフルエンザ・パンデミックの記録は参考になった。1918年から21年にかけてインフルエンザが世界的に流行した。俗に言う「スペイン風邪」だ(しかしスペインが発生源であると断定できないことからこの呼称は適当でないということだ)。その日本国内での発生状況や実施された対策や対応について、当時の内務省衛生局がまとめた本を書店で見つけたのである。その日の東京都内の新型コロナウイルス新規感染者は2000人に迫る勢いであった。

 ワクチンについて書かれている章は特に注意深く読んだ。この時にも既にそういったものは開発され接種も行われていたのである。そしてやはり副反応と呼べる症状の出る人は一定数いたらしい。当時も副反応は女性の方が出やすかったようで、工場で集団接種をした女工のうち約2割が翌日欠勤したという記録もあったとか。ワクチンという言葉は当時まだ聞き慣れなかっただろうから接種に不安を感じた人も多かったと思われるが、そういうことは特に記述がない。護憲運動や米騒動に見られるように大衆行動の盛んな時代であったが「反ワクチン」を唱える動きも特になかったようだ。情報が少ない分迷いも少なかったのかもしれない。その他に面白かったのは、日本では未だ実施されていない「ロックダウン」に類する記述である。とは言えこの当時でも全国規模でそうした措置が行われた事実はない。ただ九州地方のある山村では、互いに申し合わせて村同士の行き来を完全に断絶し、ウイルスが外部から持ち込まれないよう徹底した地域があったそうだ。未知の病気に対する強い危機感をうかがわせる。

 ところで案の定二回目の接種後私は発熱した。38度2分まで上昇し、ひどい頭痛で眠ることもままならなかった。後頭部の血管が脈打つたびに、脳内から頭蓋骨に向って鞭を浴びせられているような頭痛だった。医者で解熱剤を処方された後約2時間で熱は下がったが、体調が完全に戻るまでにはなお4日ほど要した。

 歴史から学んだつもりで結局同じ轍を踏むハメになったとしても、昔も同じような経験をした人がいたのだと思えば多少とも被害者意識が軽減されるというものである。

 

(下)緑の王国の冬の風物詩、セツブンソウ。こちらも日に日に開花数が増えています。

セツブンソウ

  • ロウバイ

(上)ロウバイ。園内には各所にロウバイがあります。少なくとも5か所はあったはず。

 

生き物に優しく

 冬蜂の死にどころなく歩きけり 村上鬼城

 しんみりした一句だが、作者の観察眼が見て取れる。やっとの思いで地面を歩く蜂を見つめる鬼城の姿が目に浮かぶ。似たような光景を目にした時ふと呟きたくなる響きを持っている。

 もはや飛ぶ力も失せ地を這うことしかできない飛翔動物は物悲しい。これから冬が深まるにつけ、人の目にいちいち触れなくともどこかしらで「死にどころなく」歩く虫たちは後を絶たないことだろう。そして生き物に優しい気持ちを持っている人間であれば、あえてそれを踏み潰すことなくどこかで静かに息絶えることを祈って見送ることだろう。

 だが私は数年前の冬、その禁を破ってやっとこさ地面を歩いているハチさんを始末したことがある。最初はゴ○ブリがいるのかと思ったが、あの独特のカラーは私はハチよ、と宣言しているようなものである。人間には目もくれずにどこかへ歩き去っていこうとしているので、まず上からバケツを被せ、ついでその隙間から専用のスプレーを噴射し、動かなくなるのを確認した。当然ではないか。スズメバチだったのだから。

 

(下)フクジュソウも春を先駆ける花。今年は昨年に比べて開花が遅く、花もやや小さめです。

福寿草

指紋に感謝

 日ごろとてもとても重要な役割を果たしているのに、あまり、若しくは全くその意義が顧みられることのない存在は珍しくない。指紋もその一つである。私は牛乳パックを持つたびに指紋があることの大切さを実感する。そんなことはないと思う人はためしに手袋をつけたまま手にパックを持ってみればいい。あの何らとっかかりのないツルツルの表面を同じく何ら突起物のない布で包んで持ち運ぼうとすることの、何と難しくまた無謀なことか。もちろん片手で、底面ではなく側面だけをコの字形の手付きで持つのだ。既に口があいている1,5リットルパックだったとしたら、細心の注意力を要される作業となる。ふだん使わない力を使うことになるだろう。第一関節の先っぽで渦巻きのような僅かな線が溝を作ってくれているからこそ、私たちは牛乳を飲もうとするたびに床をミルクパックにしなくともいいのだ。指紋のおかげで穏やかに日々を過ごせるのである。

 3月3日は「耳の日」、8月7日は「鼻の日」、10月10日は「目の愛護デー」。なのに「指紋の日」も「指紋感謝デー」もない。耳も鼻も目もなくては困るので、それらを顕彰する日が設けられていることに別に異論はないのだが、指紋だって同じくらいに大切な器官(?)ではないか。語呂合わせが難しそうだが4月のどこかで設けられないものだろうか。

 

(下)パイナップルのようなユニークな形の実。これ、クチナシの実です。偶然見つけました。染料や薬用に使われるとのこと。またこの実が熟しても口を開かない(割れないということ)ため、「クチナシ」の名になったとも言われています。

クチナシの実

  • 紅梅

傘の未来

 アレキサンダー・グラハム・ベルが電話を発明したのは1876年。それからおよそ150年で、電話は驚異的な進歩を遂げた。一家に一台という時代はとうに過ぎ、ついには持ち運ぶことが考えだされ、ショルダーホンからガラケーを経てスマートフォンと(大ざっぱな流れだが)最初の姿からは考えられない様相を呈している。グラハム・ベルが自分の生み出したものの現在形を目にしたら何と言うか、想像してみると面白い。

 そんな風に大股歩きに進化していくものがある一方で、「老舗の味」のようにその佇まいを守り続ける物品もある。

例えば傘だ。雨(やひょうやあられや雪)から身を守るというさりげないが重要な行為。そのために誰もが手にするのが傘。その多くは先端がくるんとした持ち手となり、開くと半月形の頭巾のようにそこだけ天井となって雨を受け流してくれる。しかしこの形態にこれ以上の進化は望めない。江戸時代の浪人が内職として組み立てる傘も、トトロがニヤニヤ笑いながら頭の上にさしている傘代わりのサトイモの葉も、今我々が使う傘とフォルム(原型?)は同じことだ。

だが傘の長い歴史の中で、誰かしらが思わなかったものだろうか。「手で持つのが煩わしい」と。

私は何度かの経験で懲りたので、外出の際は必ず傘を持ち歩く。たいていは折り畳み式なのだが、はじめから雨が降っている時は身長の半分ほどはあるやつを持つことを余儀なくされる。そして買い物の量は雨でも晴れでもさして変化はないので、脇にはカバン、右手に買い物袋、左手に傘という上半身総動員体制で街を歩かねばならない。その上時折メガネがずり落ちたりマスクが息苦しくなったりして片手を空ける必要性も生じるのだ。私はこの時ほど千手観音を羨ましく思うことはない。若しくは阿修羅。人類の設計者が誰であったにしろ、腕は少なくとも3本にして欲しかったものである。

さらに長い傘が難儀なのは電車の中である。私は一度この長い傘でサラリーマンを串刺しにしかけたことがあるので(あの時の彼の迷惑そうな顔は一生忘れないだろう)、車内では細心の注意を払って扱っている。しかし先端からポタポタ滴る水はいかんともしがたい。ホームで開いたり閉じたりバサバサやったとしても100%の雨滴除去は困難である。ならばよくデパートの入口にある傘袋を持ち歩けば良さそうなものだが、どこで売っているのかよくわからず買うタイミングもいまひとつ掴めず(何年か前に近所の梱包用品専門店で発見したのだがどうも積極的に買いに行こうという気が起きない)、要するに手元にないので、結果的に体に沿って腕に引っ掛けたままジーンズがしっとりするのをジワジワ体感するというありがたくない思いを甘受することとなるのだ。

恐らくティム・クックはこの先も、新しいスマートフォンの機種開発の成果を壇上で発表し続けるのだろうが、電話の進歩はもうとっくにトントンの段階に来ているのだ。そんなことより世界の叡智には「傘の未来」を真剣に考えてもらいたいものである。「いかに手を煩わせることなく雨から身を守ることができるか」。それさえできれば傘など消滅しても構わない。

 

(下)白梅。青空にとても映えます。

梅

嫌いの表明

 私の知人に無類のニンジン嫌いがいる。食事を出されるとどんなに細かく刻まれたニンジンが入っていようとも超敏感センサーが作動するらしく、料理に取りかかる前は必ず「ニンジン除去タイム」と化すのがお約束なのだ。やがて皿の片隅はこまぎれのニンジンの小さな堆積と化し、それは私に否応なく「死体の山」という言葉を連想させる。

 ところが最近私は、知人のそんな所業を笑ってもいられないことに気づかされた。私はどうしてもインゲンだけは食べられないのである。

 いつごろからそう自覚するようになったのかわからないのだが、あの何とも言えず青臭い味には率直に言って吐き気がする。あの形を見ただけでやはり私も超敏感センサーが発動するのである。殊にインゲンは切断面にぽっかりと独特の空白ができているため、何の料理に入っていてもたやすく発見できるのだ。あの断面の空白は私にとってブラックホールである。目を背けないと吸い込まれそうな魔力がある。従って私も発見次第なるべく避けて食べるか、食器の片隅に小山を作ることとなるのだが、インゲンは味が濃いので料理全体にそのエキスが染み込んでいることが多く、閉口せざるを得ない。水で流し込むしかない。

 米国のジョージ・ブッシュ元大統領(おやじの方)は大のブロッコリー嫌いで知られ、ある時記者会見だかインタビューでこれでもかと言うほど「ブロッコリー・バッシング」を展開したところ、激怒したブロッコリー農家がホワイトハウスに大量のブロッコリーを送りつけてきたそうだ。嫌いなものを嫌いと言いたい気持ちはわかるが、この農家の心情も理解できなくもない。いくら自分が嫌いな食品でも、それを生産することで生計を立てている人がいる以上、人前であからさまに嫌いの表明をするのも考えものである。

 なので嫌いな食べ物に直面したら人目につかないようにこっそり闇に葬るとか、「これを食べると今後数十年に渡って不幸な目に遭うとこの間占い師に言われた」とか言ってその場を切り抜けることにしよう。そしてインゲン農家の人と知り合う機会があったとしても、なるべく相手の仕事の内容には触れないようにしよう。

閑日つれづれ帖・1(2022年1月18日)

 

ロウバイ

ロウバイ

序文のような

無口な人間ほど話す機会を与えられれば駄弁を弄するものである。そして口を無駄に疲労させる。ふだんしゃべらない分、頭の中では何かしらの感想が渦巻いているので、一度堰を切るとここぞとばかりに排出されるのだろう。脳内の老廃物みたいなものか。それがどんなにくだらない内容であろうとも、本人は別段気にしていないのだからどうしようもない。老廃物を浴びせられている聞き役の人も気の毒だ。しかし日本人は古くから文の形で著されたそういうものが妙に好きである。例えば『枕草子』、『方丈記』、『徒然草』。すなわち随筆。これらの筆者が最初から読者を想定していたかどうか知らないが、彼らはとにもかくにも書き上げてしまった。しかも古典として未だに読み継がれている。駄弁の力もあなどれないものだ。私も何か物事に触れるたびに頭の中で感想が濫発する型の人間なので、ここでためしにそれを書いてみようと思った。書いたものが文章としての形を成すかどうかわからないがひとつの「試み」である。ところで「閑日」だの「つれづれ」だの言っているが、私はいつもヒマなわけではない。日々決まった時間働いている。しかしその上でなお何かを書き始めようとするのだから、結局ヒマなのかもしれない。

 

白梅

白梅

ラーメンを味わう

  店の前に行列を作ってまでラーメンを食べたいという情熱は、およそ私にはない。ああいう興味関心はどうすれば生まれるものなのか。同じ麺類でもうどんやそばやスパゲティに列を作っている光景はあまり見受けない。麺類だけに長い行列なのだというギャグは普遍的でないようだ。

 麺類とは結局何を味わうものなのか、私は常に疑問である。特にラーメンという食べ物はよくわからない。平たくいえばどうしたって麺とスープは分離している。麺をツルツルと啜ってスープを飲む、どうしてもその二段階方式でなければラーメンを楽しむことはできない。その点ご飯系は、他の何かと組み合わせられていたとしても、大体において一緒に口に含むことができる。寿司、カレー、オムライス、ビビンバ、納豆ご飯などなど。しかし「この麺、コシがしっかりしてるねえ」とか「このスープ、出汁が効いてるよ」とか言ったところで、それは別々の素材の話。融合させて味わおうとしたら、まずスープを軽く啜って口の中に待機させたところで、あとから麺をかっこむということになるのだろうか。不潔である。私にとってラーメンほど抽象的な食べ物はない。

 そこで思い出すのがカエルの卵だ。この言葉を耳にしただけで拒否反応を示す人もいるだろうが、まあ聞いてほしい。あの細長いゼラチン質を麺として、中の黒い卵を小さな固形スープと考えよう。そしてズズっと吸い込んだ瞬間、口内の温度で固形スープは溶解し、一度に麺とスープが味わえるという寸法だ。なかなか面白いと思うのだが。

ただしスープの味を楽しむためには相当頑張って麺をほおばる必要がありそうだ。

 

マンサク(赤花)

マンサク

  • ロウバイ

広告への目線

  「広告募集」と大書されている看板を見るたび、それが既に広告としての機能を果たしている事実に、しばしば私は感動する。ほんの少しだけだが。ミジンコの涙くらい。

  「○○牛乳」や「△△工務店」や「居酒屋××」といったありふれた看板たちが、消費者のサイフの紐を緩めるべくしのぎを削る一方、そんなのどこ吹く風の「広告募集」である。他の看板主たちが左前になってせっかくの広告を引き上げざるを得なくなったとしても、やつは無風である。他の広告とは格が違うのだ(もちろん広告会社自体がダメになってしまえば終わりだが)。とは言え「広告募集」看板も道行く人に消費行動を促す使命を負わされていることに変わりはない。だがあれはこの特大のスペースを埋めるだけの資本を持つ人に限られたメッセージなのだ。居酒屋で飲み食いしてくれというのとは話が違う。そしてたとえそんな理想的な資本家が半永久的に姿を見せなかったとしても、そこは日本固有の「余白の美」としての存在意義を発揮するのである。だって全ての広告スペースが色とりどりゴミゴミ埋まっていては息苦しいではないか。

 ところで私の通勤路には、昭和40年代くらいに貼られたと思われるブリキの広告看板が、何枚かそのままになっている民家の壁がある。だいぶ文字が剥がれ落ちたり全体的に錆びたりして判読不能の部分が多いが、中の一枚、工場の社員募集と思われるものに「冷暖房完備」とそこだけ違う色で仰々しく書かれているのが常に目に付く。そしてそれが重要なセールスポイントとして成立していた時代に、私ははるか思いを馳せる。

 

福寿草のつぼみ

福寿草のつぼみ

紅梅

紅梅

ナンシー関没後20年

 2022年はナンシー関の没後20周年にあたる(生誕60周年でもある)。ナンシー関の訃報を目にした時の記憶は、一つの映像として私の脳裡に鮮やかだ。その時私は小学生くらいで、家族旅行の最中立ち寄ったパーキングエリアかなんかにあった新聞にその人の写真が載っていたのだ。速報性を持った訃報というより、その月か前の月に亡くなった人を何人かまとめて紹介している欄だったと思う。私は「ナンシー」というどことなく間延びのした発音に加え、全体的に横に広がっているその文字の造形が、彼女の大柄な風貌と絶妙にマッチしていることが醸し出すある雰囲気に忘れがたいものを感じたのだ。一種のカルチャーショックだったのか。当時の私はナンシー関が何者か知る由もなかったが、彼女は幼い私の心に消しゴムかすほどのささやかなかすり傷をつけて去っていった人と言っていい。フランスには「ナンシー」という都市があるが、私には体格のいい人ばかりが住んでいる街という気がしてならない。

 ナンシー関といえば「消しゴム版画」の先駆者だが、それもさることながらあの透徹した批評眼に貫かれたコラムが素晴らしい。またそれぞれの版画の片隅には、取り上げた人物の過去の言動から取られたキャプションが付せられるのだが、あれに彼女の批評精神が凝縮されていてとても面白い。その人の本質がキャプションのわずか数語で言い尽くされていると思える時もある。ナンシー関の世界は文章と版画とキャプションの三位一体で不動のものとなっているのだ。ある本によれば、彼女の両親は娘が悪口を書いて渡世していると、当初はその仕事をあまり良く思っていなかったそうだが、ナンシー関は単なる悪口と毒舌の違いをはっきりと弁別していた真の批評精神の持ち主だった。私は世代的にそれらをリアルタイムで読むことができなかったが、テレビという移ろいやすいメディア、そしてそこに登場するさらにさらに移ろいやすい人々について書かれた文章が、作者の死後20年経っても面白く読めるというのは驚異的なことだ。彼女が取り上げた俳優やタレントたちが全て生物的にこの世から消滅したとしても、ナンシー関の文章と消しゴム版画が消えることはないだろう。大学中退後の鮮烈なデビューから39歳での惜しまれる死まで、そのスタイルと表現の水準は一貫して保たれていた。一種天才的な人だったのだ。

 

クレマチス ジングルベルの咲いた後

クレマチスジングルベル(咲いた後)

  • 紅梅

慣習の力

 年末年始の大掃除など特にしなかった。ふだんからモノの数を調節し余計なモノを増やさなければいいことである。年末年始などと言ったって12月31日から1月1日へ移るだけのことで何かが大きく変わるわけでもない。年明け早々Eテレにさだまさしが出てくるくらいが関の山だ。初詣だの初日の出だの新年にまつわる行事もあれこれあるものだが、いつ行ったって神社は神社だし、いつ見たって太陽は太陽だ。要はこちらの気分次第。中国は未だに旧正月を祝うが、こちらがとっくに新年気分を忘れている頃に爆竹を鳴らしてはしゃいでいる映像を見ると、少なからず奇異な気持ちがするものである。だがあちらからすれば12月31日から1月1日へのカウントダウンで盛り上がっていることが不思議かもしれない。新年にまつわる行事ごとの中で一番苦手なのがおせち料理である。なんでこの寒い時期にあんな冷たいものばかり食べなければならないのか。忙しい時期だから日持ちのする料理がいいということでああいうものが伝わっているのだろうが、腹の弱い人間には歓迎できない。私は正月の食事はなんでもレンジでチンすることにしている。伊達巻きだって煮豆だって作られたその時は温かかったに違いないのだ。

 新年の時期になると「餅をのどに詰まらせた高齢者がうんぬん」というニュースを必ず耳にするが、「命と引き換えにしてまで餅を食べなければならない理由とは何か」とよく私は考える。考えるがつまりわからない。「正月は餅を食べるもの」、「餅は美味しいもの」という慣習の力学が働くのだろう。人命を奪うことさえある恐ろしい力学である。呪縛と言ってもいい。確かに餅が至上の味と思えた世代なり時代なりがあったのだろう。だが私には餅のうまさというのもよくわからない。あれ自体では味はないので何かと付け合せて食べなければならない。難儀な食品である。難儀で思い出したがナンはチーズを挟み込んだり何かしら最初から味をつけたものも珍しくないが、餅は白い餅が好まれるようだ。以前とうもろこし粉を練りこんだらしい黄色い餅を見たことがあるが、邪道と思えた。餅も日持ちがするし腹持ちもいいから余計な労働はしたくない正月に重宝されるのだろうが、私は命を差し出してまで食べたいとは思わない。私は餅より月餅の方がいい。

 慣習というものはある決まったタイミングに必ず繰り返されるものである。当然そこには常習的な利益を期待してビジネスが発生する。クリスマス然り年末年始然り。そしてここ10数年(たぶん)ですっかり2月の新たな呪縛と化した例の海苔巻きである。恵方巻だったっけか。豆まきをしないがあの海苔巻きを頬張るという家庭は多いことだろう。だが私はあれも苦手だ。冷たくてでかくて食べづらい。食べこぼすのが目に見える。なので一口大に分割してレンジでチンすることにしている。それでは恵方巻の意味がないかもしれないが、要するに指定の方角に向って黙って食べればいいのだから同じことだ。慣習は自分の物差しに合わせて測り直してこそ真に身に着いたものとなる。正月から救急隊の仕事を増やすくらいなら、餅はみじん切りにして食うべし。

 

(気まぐれに逐次掲載)

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