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場内ガイド(2020年7月~)

更新日:2020年7月10日

櫛引の大地に広がる、市民の憩いの森、ふかや緑の王国。

そこは四季折々の自然、数多くの草木や花々に包まれる普段とはちょっと違った時間の流れる落ち着いた空間です。

自然の豊かさに触れ、失いかけていた日常を取り戻したり、小さな子どもと一緒に芝生を駆け回ったり、ボランティアさんの整備するいくつものガーデンを経巡って、新たな花の知識を増やしたり・・・ 過ごし方は人さまざま。

このページでは、そんな緑の王国に、今どういった花が咲いているのか、どのような風景が広がっているのかを、気まぐれにお伝えしたいと思います。

(ふかや緑の王国のFacebookでは、ほぼ毎日、緑の王国の今を更新しています。こちらもぜひご覧ください。)

このページは2018年2月から作成しています。過去の項目は、このページ最上部「現在の位置」から二つ右の「場内ガイド」をクリックするとご覧になれます。

光を求めて(2020年7月9日)

キキョウ

幸田文の『木』は、読まなければいけない、と思っていた。彼女が70歳近くなってから、体力の衰えも構わず、憑かれるようにして、全国あちこちの「木」を訪ね歩いたエッセイである。もう一冊、『崩れ』という本もある。これは山岳の崩落地を見るために、同じく日本の各地をめぐった記録だ。こちらの方は先に読んでいた。崩壊、壊滅という言葉にはいつも惹かれるものを感じるからだ。

 でも『木』は、今ひとつ読みたい気が起こらなかった。はっきり言って樹木というものにさしたる関心が無かったのである。どんな優れた名著でも、何の興味も持たずして読めるものではない。そのうち『木』を書店で見つけ、購入して書棚に飾っておいたが、いつ読み始めるものか、自分でも検討がつかなかった。今年の1月のことである。

 それから半年近く経って漸くページをめくり始めた。どうしてそういう気になったのか。つまりは「何となく」ということだろう。しかし、読み始めてじき、私はあんなに毎日職場(緑の王国)で無数の樹木を目にしているのだから、全くこの本の内容に関心を持たない、なんてことは変ではないか、と思えてきた。ならば、この本で幸田文の目にする木を、想像の中で緑の王国に移植し、私も彼女と一緒にそれらを見て回っているように仮定して読んでいけばいいのだ。そう考えると、1ページ1ページがより興味深くなってきた。読み進むにつれ、この本は『崩れ』と一続きのものだと思えてきた。山の斜面の崩壊にも樹木の見せる様々な姿にも、幸田文は唯一無二の自分の感情を以て対している。自然と心で向き合って、傷ついたり喜んだり、とにかくそこから何かを得ようとしている。

(上・メディカルガーデンのキキョウ)

 

チコリ

(チコリの花・ヒーリングガーデン)

前半のある一章を、私は特に熟読した。せざるを得ないものを感じた。

 「ひのき」という章である。幸田文という人は、物事は何でも一年間循環して見ないとわからない、というある種の経験則を持っていた。専業主婦として過ごした時代にそう悟ったらしい。その前年の秋の暮れ、彼女はあるところへひのきを見に行ったそうだ。

 秋のひのきは「尋常」で「無言に、おとなしげ」であったという。いきなり「尋常」と言われてもよくわからないが、つまりは「ひのき」と聞いてふつうイメージする、見慣れた姿だったのだろう。ところが、それから1年をめぐった「八月の檜は、意気たかい姿をしていた」。夏のひのきは、「しゃべりだす」のではないか、と思われるほど、活気に満ち、「積極的で旺盛なものを発散していた」そうである。青葉繁れる、といった新緑の佇まいがそう感じさせたのだろうか。とにかく彼女は、「崩れ」に対した時と同じように、自然そのものの持つ得体の知れない「いのち」を直感したらしい。こういう内容の記述はこの人の著作の随所に見られる。それに出くわす度、この人は「巫女」的感性の持ち主だな、と私は思う。

 ひのきは昔から建材として日本人には馴染み深い。彼女は日本の代表的な樹木を好きに挙げてください、と色々な人に聞きまわったそうだが、ほとんどの人が「ひのき」を挙げた、と言っている。殊に若い世代ほど多くそう答えたそうだ。

 住宅に使われるひのきは良材だけが選ばれる。強度も高く、湿気に強く、腐らないし、木目はきれいで、香り高い。「いいことずくめ」なのだ。しかし、説明を聞くうちに幸田文は「淋しくなってしまう」。非の打ちどころのない何かに出会うと、途端に自分自身の至らなさ、足らないところ、欠点に思いは飛び、自分はそんなパーフェクトなものとは「遠い存在」、「縁のないもの」と思ってしまう。素直な彼女の性格が窺われる面白いところである。幸田文のものを見る視点は、いつも彼女自身の持つ弱さの直視へとつながる。そこから彼女の眼差しは、その時目の前に見つめているものの持つ脆さ、はかなさをいたわる優しさへ結びつき、命のないものさえ心が備わっているのかもしれないとの感を、読む者に与えるのだ。

 さて、そんな風に、ひのきの完璧さの前に小さくなっている幸田文を見て、今までひのきの説明をしていた人は、いやいや、ひのきにもピンからキリまで、優秀なものもあれば、難のつくものもあるんですよ、と言って目の前の二本の木を指した。

 

 「樹齢三百年ほど、とその人は推定する木だけれども、さながら兄弟木とでもいうような、より添ってそびえた二本立だった。」

 

 一本はまっすぐと立っているが、片方はやや傾斜している。しかし、両方ともたくましく根を張り、円筒型のまま屹立する幹は太く見事だ。何故この木がキリの方なのか、わからない幸田文に、説明者は傾斜した方の木を指して言う。

 

 「これだけの高さ、太さをもった木が、自分の重量をささえて立つのに、真直に立つのと、かしいで立つのとでは、どっちがらくか、考えればすぐわかる。かしいだものは、よけい苦労しなければ立ってはいられない。当然、身に、どこか、無理な努力が強いられている・・・」

 

 そういう木は、からだの中に、素直でないねじれた部分を持っている。そのねじれは、木材の性質としては致命的なのだそうだ。並んだ二本の木は兄弟のようなものである。だがどこかの時点で、「片方は空間を譲る状態」、つまり直進から外れてしまい、そのまま成長したのだろう。兄の優しさか、弟の謙譲か。いずれにせよ、二本並んだ木には、よくこういうものが見られるのだという。幸田文は、改めて二本の木を見上げる。木は何も語ることなく、かしいでもなお繁っている。

 

「立派だと思った。が、せつなかった。」

 

ハンゲショウ

ハンゲショウ・花仲間ガーデン

花が地味なので、蝶をおびき寄せるため葉が白くなると言われている。ドクダミ科。

 

  • 場内ガイド

私も剣道を習っていた頃、口を酸っぱくして言われたので今でもよく思うのだが、木でも人間でも姿勢はいいに越したことはないのである。猫背より背筋を伸ばしていた方が、体にかかる負担は減る。背を丸めるのは疲れるのだ。私は疲れを感じた時には、まず背筋を伸ばすことにしている。すると体にも一種の喝が入るのか、一瞬、スッキリするのだ。子どもの頃には、なかなか気づかないことであろう。背を丸めたまま生きることは、その後の人生にも、あまりいい影響をもたらさないように思う。

 

 傾斜して立っている木は、何故そうなっているのか。

二本並び立つ木は、兄弟とは言えどもその実ライバルのようなものなのだ。どちらが先に抜きんでるか、太陽に近づき、広い空間に枝を広げられるか。

 これは、光を求めてのたたかいなのだ。

 

 「太陽と空間を気ままにすることのできた前者は、勢いに乗って、枝葉をひろげるし、それはライバルだったものには圧迫になる。」

 

 負けたものは陽も当らなくなり、それ以上伸びられない。仕方なく、ずんずん伸びていく同胞を見上げながらほどほどのところで成長を止めるしかない。しかし、その後のどこかの時点で、周囲の木がなくなり、空白が生じた。頭を押さえつけられていた木は、しめたとばかり、空白を縫って成長を再開した。

 

 「日照を阻害されている木が、このチャンスを逃すわけはない。二番手でまっすぐにいくより、太陽と空間を得ようとして傾くのは当然である。従って、ここで躯幹(くかん)は永久の癖を背負ったことになる。」

 

 光を求めて、なおも伸びよう生きようとする樹木が得てしまった傾斜を、幸田文は上の文のすぐ後ろで「苦患の記録」と表現し、最早木にはっきりと感情を注ぎ込んでいる。一本の木のからだに刻まれた成長過程を辿ると、あまりにも人間と同じような喜怒哀楽に満ちているからだ。

 森という生命体を維持していくためには、適度なところで木を切り倒さなければならないこともある。間引くというやつだ。勿論間引いたものを必ず建材として使うということではないのだろうが、しかし形を変えても何かに利用されるのであれば、大地との縁を切った木にしても悪くはない話である。

 しかし、傾斜した木を建材として使うことはまずない。林業、製材業の世界では、こうした木を「アテ」と呼んで、木としては最低の部類にも値しない、嫌われもの、厄介ものとして扱うのだそうだ。ようやく空間を得て曲りながらも立派に伸びたひのきも、人間の目からすれば駄目なのである。

 

 このあと幸田文は、その「アテ」が本当に言われるような厄介ものなのか見たいと頼み込んで、傾斜した木を無理に電動鋸にかけてもらう、という方向に話は続くのだが、引用にも飽きたので、私は自分の目で身近な「木」の姿をよく見てみようと思い、外へ出た。

 

ラクウショウの森

正門を入って右手に、およそ20メートル、或いはそれを越える大きさの木々の立ち並ぶ一角がある。これは皆、「ラクウショウ」の木だ。漢字では「落羽松」。「沼杉」とも呼ばれ、とても大きく育つ。近くの地面から生えてくる「気根」という根っこで呼吸するのが特徴的だ。

 今までは、なんと大きな木があるものかなあ、とただ幹の行方を見上げていただけであったが、幸田文がひのきの傾斜に心打たれた条りを読んだ直後であり、素直に見上げたいような、でも何事かかなしいものを見つけてみたいような込み入った気持ちで木々を眺めた。

 集団の端にある木は、両脇を他の木で固められていないだけ幸福である。あたかも空間に引かれた一すじの道を直進していくように、すっきりと、まっすぐ伸びている。これは誰が見ても気持ちのいい、端正な樹木だ。もし建材にすることがあったとしても優秀な一本として活用されるのではないか。(ラクウショウは明治時代に線路の枕木や屋根板に加工するために輸入されたそうである。)

 この、上の写真で言うところの右端の木の姿をそうして堪能した私は、すぐ隣の木に目を移して、ああ、これはと思った。

ラクウショウの森

こちらは見事に傾斜している。(上の写真右から二本目)

今述べた右端の木がある程度の大きさに育ったあとに出現した木なのだろうか。幹は右隣より明らかに細く、一気に成長期を迎えた中学生のようにひょろひょろと何となく頼りなげに伸びて、全体の七分ほどのところで曲がりを見せている。このまま直進していっても陽光は望めず、仕方なく進行方向を転換したものだろう。そして再び成長を続け、終着点を迎えた。

どの幹も、成長の打ち止めにさしかかるにつれ人間の腕ほどの細さに近づいていく。その方が、木全体を支えるに当って余計な負担がかからないからだろう。そういえば電柱も、空に近づくにつれ極端に細くなっていく。あれも同じ理屈でそうなっているのだと聞いたことがある。しかし、その点で負担軽減の法(先端が細くなる)を本能的に守ったとしても、この木は途中で傾斜している段階で既に、その樹体にどうにもならない重荷(幸田文の言うところの「苦患」)を背負ってしまっているのだ。これは最早誰にもどうすることもできない。ちょうど子どもの頃から猫背で過ごしていた人の姿勢を、大人になってから真直ぐに直すことが難しいように。

木はそんなこと考えてもいないだろう。いや、もしかしたら日夜風にそよぎながら、自分の体はやけにかしいでいる。真直ぐだったらどんな風の受け方をしただろうか、とぼんやり思っているかもしれない。そんな風に感じながら木を仰いでいると、なるほど心に染み入ってくるあるかなしさがある。生まれてきてしまったばかりに、と。

 

森を見上げていると、木々の一本一本は周囲の僅かな隙間をも見逃すまいと必死に伸張しているように見える。幹周りの大きさを、基盤部からほぼ変えずに大きくなっているものは少ない。大抵は途中で傾斜し、細くなり、中には二股に分岐して、削った鉛筆のようにそれぞれの先端を尖らせながらなお伸びていくものもある。

 

ラクウショウの森

しかし中でも私が心打たれたのは、西側から何本目かの一本だ。(上の写真中央矢印で示した木)この木は明らかに、途中で成長を止めている。先細った頂点を曝したくないとばかりに頂上部には青葉が密集している。隣の木の葉も混ざっているかもしれない。だがとにかく、この木はこの森の中では新顔の部類であろう。途中までは特に問題なくすくすくと伸びてきた。だが先輩たちの高さに追いつくにつれ、自分も同じように進んでいくことは難しいと悟ったのだろう。仕方なく、それでも一本の樹木としての本能に従って先端を尖らせ始め、自ずと成長期の終止符を打った。木は目も見えず、口も利けず、何も訴えることのできないまま、自分を取り巻く四囲の事情を察し、身を処したのである。

しかし、今後何らかの事象が起きて、彼の周囲の樹木が消滅し、空間が生まれたならば、この木はまた伸び始めるかもしれない。しかし、そのためには傾斜という「苦患」を身に負うこととなるだろう。それでもきっと、木は伸びていくに違いない。光によって育まれ生かされる、樹木の性がそうさせるのである。(勿論木に対してこんな風に感情を寄せることは、滑稽で無意味なことかもしれないが、私はどうしてもこう見てしまう。生物だけでなく、身近にある物事全てが心を備えてそこにあると考えることは、そんなにも間違ったことだろうか。)

 

 

 

「木を見て森を見ず」という言葉がある。小事にばかりこだわって全体の展望を見通すことをおろそかにする、というほどの意味だが、しかし私たちは、木を見るという時、一体木のどこを見ているのだろうか。今回幸田文の『木』を読んで感じたことの一つは、それであった。

私の木の見方を振り返ってみると、矢張り見上げ、振り仰いでいたことがほとんどだったと思う。上ばかり見て、葉の繁り具合、枝ぶり、幹に刻まれた木目を認め、それで木を見たつもりになっていたようである。

 

 ラクウショウの森の近く、池のほとりに、ラクウショウとはまた別の大樹がそびえ立っている。メタセコイアの木だ。この木もラクウショウと同じく、スギ科で、見た目はこちらの方が杉に近いと思えるかもしれない。この木にはその長寿を物語るように緑色の苔が樹肌にびっしり生えていて、その光景が醸し出す静謐さとある種の神秘さに惹かれて、私はよくこの木のところへ行って、じっと樹肌の茶色と苔の緑のコントラストを見つめて楽しんでいる。

  • メタセコイア

ひょいと、根本にかがんでみた。そこで目にした木の様子に、私はほとんど戦慄を覚えた。

メタセコイア

地面に近づくにつれ、メタセコイアの姿は、人間の感傷をはねのけるほどの生々しさ、酷烈さに満ちている。

メタセコイアの根本付近を撮った上の写真は、はっきり言って美しいものではない。樹肌は無残に割れている、裂けている、荒れている。割れ目、裂け目に沿って、無精ヒゲのようにまばらに苔が生え、何だかわからない虫が這っている。水が流れた跡は、湿気が去らぬまま水分を湛え、やがて苔の領地となるだろう。苔だけでなくキノコも生え、落ち葉や折れ枝もまといつく。割れた樹肌はやがて腐敗し、虫に喰われて朽ちてゆく。そうして生じた空隙にはハチも巣を作ってしまう。

 

何ともやりたい放題にされてしまっている。まるでいじめられっ子のような有様だと思った。これをもし人間の肉体に置き換えるとするならどうだろうか。自分の体がこんな無残な目に遭ったとしたら。喜ぶ人はいないだろう。

でも、見方を変えれば、これは何もかも受け入れている姿と言えるのかもしれない。抵抗もせず、悲鳴も上げず、大きな度量で小さな物事を受けとめ、なおも、つよく根を張っている姿。まとわりついた葉はいつかその根元で土となり、若葉を育む寝床となる。剥落した樹肌の下からは、また若く美しい木目が現れるだろう。木の根本は、その途中や上部よりも遥かに、植物や生きものの死と生が行きかう、交差点なのかもしれない。今ここにしゃがみ込んでこんなことを考えている私も、そのひとつである。(そしてその私を刺していった蚊も)。

 

雨は上がり、空は晴れた。真直ぐな木も曲がった木も、青々と輝く葉を風になびかせ、サワサワと音を立てている。その根本では落ちた葉を微生物が分解し、土に変わったその上に、また新たな草木の萌芽が産声を上げるだろう。彼らはこの世が存在する限り、それを繰り返していく。かつて幸田文が木へ寄せた哀憐の情も、めぐりめぐって今、私の中に根を下ろしたようである。

幸田 文(こうだ あや)について

1904年9月1日、現在の東京・東向島に3人姉弟の次女として生まれる。

父は、坪内逍遥、森鴎外、尾崎紅葉と並び称された明治の文豪、幸田露伴。24歳で結婚し、一女を得るが、14年後に離婚。生家に帰り、家事、子育て、老父の世話に10年を過ごす。露伴は当代一とされるほどの博学だったが、その知識は机上の学問に留まるものではなく生活上の実際的側面にも及び、文は家事の細かいコツまで露伴に教え込まれ、これはその後の彼女の人生に大きな影響を与えたと思われる。 

1947年、露伴没後寄稿を求められた父を回想する文章群が注目され、文自身一人の文筆家として認知されるようになっていく。しかし次第に父を振り返る文章にもマンネリと書き尽くした感を覚えた文は、一時断筆宣言をし、芸者置屋で働き、その経験をもとに書いた『流れる』は高く評価され、映画化もされた。小説作品では他に、結核で夭逝した弟との心の通いを描いた『おとうと』、自伝的作品『みそっかす』、など。

家事や料理、また着物についてのさっぱりあっさりして含蓄ある文体のエッセイも人気が高い。

60代過ぎてからは、本格的な老いを目前にしての切迫感があったのか、日本全国あちこちへ赴き、感性の向くままに自身の見つめたものを綴った。それ等がまとめられた『木』、『崩れ』は没後相次いで出版され、これは当時かなりの驚きをもって迎えられたらしい。というのも彼女は69歳を最後に新著を刊行していなかったからである。

この両書は、文の本当に望む形での上梓ではなかったかもしれないが、今もなお人を惹きつけ立ち止まらせる深遠な内容を持った、幸田文学の総決算的作品と思う。

1990年10月31日、86歳で死去。

彼女の一番の持ち味は、何と言ってもその清新で溌剌とした感性に裏打ちされたものを見る視点にある。それは露伴に教え込まれた生活の知恵、どんな人やものも抱いているかなしみや寂寥をたちまち見抜く優しさ、そして自分を見つめ、絶えず矯め直していこうとするつよさが織りなす、一つの確固とした知性のほとばしりだ。

また、今は遠くなった、明治・大正・昭和の生活感情をいきいきと伝える彼女の文章を読んでいると、とにかく現代を生きている自分自身の地に足をつけていない感覚を思わせられる。彼女の文章が没後なお色褪せない理由の一つは恐らくそこにあり、そういう意味では今も現代的な作家であり続けている。

2013年には世田谷文学館で、「会ってみたかった」と題された、文の足跡を辿る展覧会も開かれ、改めてその独特の歩みが注目された。

全く、「会ってみたかった」とは至言であって、今彼女が生きていたら、この世の中をどう思うだろう、どう感じるだろうとしみじみ思わせられるタイプの「もの書く人」である。

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