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「中瀬紅」の里帰り

更新日:2020年3月19日

春になると桃色や白の花をつける可憐な花、サクラソウ。その種類の一つに、深谷の中瀬地区発祥のものがあることをご存知ですか?

 

かつて、利根川の川べりには多くのサクラソウが自生しており、近隣住民の多くは採取したサクラソウを自邸で育てていたそうです。小暮医院の小暮梅子さんも、そうしてサクラソウに魅せられた一人でした。自邸の庭で梅子さんが栽培したサクラソウは、最盛期には3万本に達したそうです。

昭和37年、浦和市(現さいたま市)の田島が原で行われていた「さくらそう祭り」で、来場者にサクラソウを贈りたい、との依頼を受け、梅子さんが心を込めて育てた3千本のサクラソウが、小暮医院の庭から運ばれます。

この時田島が原のサクラソウと区別するため、「中瀬紅」と名づけられました。

 

中瀬紅は他のサクラソウに比べ、赤みがやや強く、比較的細長い花弁と花弁の間に隙間が出来るように開花するのが特徴的です。

 

梅子さんが1998年に他界されたあとも、「中瀬紅」は深谷オープンガーデン花仲間の会員でもある山田仁一さんをはじめ、市内の愛好家によって大切に育てられています。

 

今回、山田さんから、長年情熱を傾注してきたサクラソウを分けていただけることになり、「中瀬紅」の故郷である中瀬地区の豊里小学校と豊里中学校に管理をお願いしたところ、両校の快諾を得、2019年5月28日(火曜日)に、山田さんから両校へ寄贈されました。

 

両校の生徒や先生方、地域の皆さん、「中瀬紅」がそのふるさとで再び定着し、サクラソウで中瀬地区が満たされるよう、愛情を込めて育ててくださいね。

 

中瀬紅の里帰り

豊里小学校にて。

中瀬紅の里帰り

豊里中学校にて。

小暮梅子さんと中瀬紅の話

  深谷市の北端、中瀬(なかぜ)地区はある花の品種の発祥地として知る人には知られている。サクラソウの一種、「中瀬紅」だ。

  サクラソウは容易に交配ができ、春には桜に似た可憐な花を咲かせる一方、育成が簡単でないといった特徴から多くの熱心な愛好家を持つ。

  これからご紹介する物語の主人公である小暮梅子さんは、日本女子大学高等部の学生時代に、埼玉県南部の田島が原サクラソウの見学に行き、早くもこの花に魅せられている。視界の限りピンクのサクラソウが咲き乱れる光景は、忘れがたいものであったそうだ。

  「小暮医院」の院長夫人となって中瀬(当時は大里郡豊里村中瀬)に移り住んだ梅子夫人は、隣家に用あって訪ねた折、サクラソウと再会する。またすぐに生えてくるから、と庭の一隅に咲いていたその3株のサクラソウを隣人は快く分けてくれたそうだが、この時が梅子夫人とサクラソウとの本当の馴初めであったかもしれない。

  元々中瀬地区の位置する利根川の河川敷は、野生種のサクラソウが広がる一帯であり、地区の住民には、河川敷から採取したサクラソウを、自宅で育てて楽しむ人が多かったとされる。しかしひょんなことから小暮梅子夫人が手に入れたこのサクラソウが、やがて彼女の人生においてかけがえのない植物になるとは、まだ誰も思ってもみなかっただろう。

  そこには梅子夫人がサクラソウと出会った時代が影を落としていることを、見てみなければならない。

 

   1911年に生まれた梅子夫人は、1933年に医師・小暮精朔氏と結婚。その年の4月、前述の隣人から、サクラソウの株を譲り受け、自宅に植栽し、育て始める。栽培法も増殖の仕方も知らなかったが、梅子夫人の試行錯誤に、やがてサクラソウはしっかりと応えてくれた。年を経るごとに庭のあちこちに広がり始めたのである。夫・精朔氏も妻の根気強い作業を励ましてくれた。中瀬へやって来て、まだ日も浅い頃。知人も少なく体も丈夫でなかった当時の自分にとっては、サクラソウが唯一の心の支えだったと、梅子夫人は後年振り返っている。   

  そんな喜びもつかの間、やがて暗い時代が夫婦を見舞うことになる。

  1937年、日中戦争勃発。7月、精朔氏も招集を受け、出征する。医師であったことから、軍医として重用されたのだろうか。突発的に始まったこの戦争は、やがて出口の見えない長期戦と化し、精朔氏がようやく復員できたのは、約2年半後の1940年1月だった。 

  赤城颪の吹きすさぶ冬では、梅子夫人が丹念に世話していたサクラソウは見ることができなかった筈だが、しかし無事生きていたお互いの姿を確認できたことだけで十分だった。夫妻はやっと訪れた、どちらが欠けてもならない日常に、心から安堵したことだろう。

  それは短いやすらぎの時でしかなかった。二人がサクラソウの開花を一緒に楽しめたのは、この年とその翌年の春、2回だけだったと思われる。

  1941年7月、精朔氏に再び招集令状が届く。梅子夫人の悲嘆の気持ちは、如何ばかりのものだったろうか。  

  間もなく日本は米国との間にも戦端を開き、泥沼の時代へと突入する。3人の子どもを抱える梅子夫人にとっては、戦場の夫の身を気遣いながら、屋敷の周りを開墾し、農作業にいそしむ日々。不安な毎日に癒やしを与えてくれたのは、サクラソウであった。

 「どれほどさくら草の上に涙を流したかしれません。さくら草は私の涙で育ったのです。さくら草こそ私の涙草です。」

 当時を回想した梅子夫人の述懐である。着々と庭を敷き詰めていくサクラソウは、梅子夫人の側を離れず励まし続けたのである。

 

 

 1945年8月、終戦。精朔氏がようやく復員し、中瀬の地を踏めたのは、さらに翌年の5月である。梅子夫人にとっては、夫の最初の召集から通算して、およそ10年に及ぶ戦争の歳月だったと言えよう。

 

 

 1961年、旧浦和市に花一杯の会という組織が出来た。市も一定の介入を行い、文字通り、浦和市の市民を巻き込んで、自分たちの街を花で一杯にしていこうという主旨の会である。この会の最初の活動は、田島が原のサクラソウ自生地の保護や、さくらそう祭りへの積極的参加であった。このさくらそう祭りは、市の春の目玉行事として回を重ねるにつれ盛り上がりを見せており、県内や県外からも多くの人が訪れる一大イベントとなっていた。

 しかし、せっかく多くの人がサクラソウを楽しみに足を運んでいるのに、そのサクラソウを来場者に配れないという点が、大きな難点であった。田島が原サクラソウは1952年に特別天然記念物に指定されていて、もちろん持ち出しはできない。大勢の人に配れるほど大量のサクラソウが、急に手に入るはずもない・・・。

 

 そこで会員の一人である岡田實氏が注目したのが、小暮医院のサクラソウである。実は、1952年に岡田氏の執筆したサクラソウ保護を呼びかける新聞記事に対して、梅子夫人が抗議の投書をしたという出来事があった。この投書は誤解から生じたものだったため、それを解く目的も兼ねて岡田氏が小暮医院を訪れたところ、氏と精朔氏は中学時代の同級生であることがわかり、一転、岡田氏と小暮夫妻の間には親密な交流が生まれたのである。当時、埼玉山野草会会長・浦和医師会長だった岡田氏は、その時梅子夫人が育て続けていた、病院の敷地中に広がるサクラソウを目にしていた。通り道を除けば庭のほとんどをサクラソウが占めており、まさに足の踏み場も無い状態だったそうである。

 あれから約10年。サクラソウは、どれだけ増えていることだろう。これを配布用として使い、なおかつ自分たちで育成することができれば、問題は解決する。

 こうした希望を抱いて、岡田氏は浦和市広報課の職員と共に小暮医院を再訪、事情を理解した夫妻は快く約3000株の苗を分けてくれた。

 そしてさくらそう祭りで配布することとなったのであるが、しかし田島が原サクラソウとは別物であることをはっきりさせなければならない。

 そこで、小暮医院から運ばれたサクラソウには、新たな名が付けられることとなったのである。 

 

   与えられた名は、「中瀬紅」。梅子夫人の意向が大きく加味された命名となった。 

 中瀬紅は他の種類のサクラソウに比べて、赤みがやや強く、花弁が細長い。その花弁と花弁との間が少し離れて開花する。そして、花自体がとても丈夫で、繁殖力も強いそうだ。中瀬の地で多量に増えたのは、土壌がよく合っていたこと、そして梅子夫人を始めとする中瀬紅を愛する人たちが、根気強く世話と手入れを続けたことが挙げられるという。

 小暮医院から譲渡された中瀬紅は、サクラソウ愛好者の園芸家、長谷川圭司氏に託される。長谷川氏の畑に移植された中瀬紅は年々増え続け、ついに1963年からは「さくらそう祭り」の会場で配ることができるようになったそうだ。

 1971年11月14日、サクラソウは福寿草を上回る人気を得て埼玉県の県花に制定され、翌1972年4月2日、浦和市の市花にもなった。

 小暮梅子夫人と「日本さくらそう同好会」は、1981年11月14日の埼玉県民の日に、埼玉県知事から「シラコバト賞」を授与された。

 これは、日頃地域においてさまざまな活動を積極的に実践する個人や団体を顕彰するために埼玉県が制定しているもので、サクラソウの普及に大きな役割を果たした梅子夫人の功績が認められたものである。

 梅子夫人は1998年に他界し、彼女が最盛期には3万株のサクラソウを育てた庭園は現在駐車場となっているが、中瀬紅の育成は今も、多くの愛好家によって受け継がれている。苦しい時代を生き抜く支えとなった、梅子夫人の忘れ形見・中瀬紅が、これからも美しい花を咲かせ続けますように。

中瀬紅

中瀬紅(『Fukaya Open Garden Book 2019』より転載)

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