笠原可雄(かさはらよしお)
生没年
1912(大正元)年―1990(平成2)年
解説
大正元年11月2日、大里郡八基村血洗島に生まれる。本名は可夫。幼少の頃より絵をよくし、昭和6年、19歳で描いた「早春」は院展に初入選し、昭和11年、当時の文展鑑査展に入選した「送秋」や昭和21年秋日展に入選した「母と子」は、画壇の注目を浴び、ジャーナリズムをわかせた。その後も度重なる日展入選などがあるが、晩年は難病にとりつかれ、長年にわたる病魔との闘いの果て、平成2年10月24日帰らぬ人となった。
1912(大正元)年―1990(平成2)年
大正元年11月2日、大里郡八基村血洗島に生まれる。本名は可夫。幼少の頃より絵をよくし、昭和6年、19歳で描いた「早春」は院展に初入選し、昭和11年、当時の文展鑑査展に入選した「送秋」や昭和21年秋日展に入選した「母と子」は、画壇の注目を浴び、ジャーナリズムをわかせた。その後も度重なる日展入選などがあるが、晩年は難病にとりつかれ、長年にわたる病魔との闘いの果て、平成2年10月24日帰らぬ人となった。
更新日:2023年03月27日