本田次郎近常(ほんだじろうちかつね)
生没年
不詳-1205
解説
平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武蔵武士。幼名は鬼石丸。
現在の深谷市川本地区にある「本田」を名字の地とし、畠山重忠の側近として活躍した。
「平家物語」「源平盛衰記」などの合戦記には、そのほとんどが畠山重忠の乳母子(めのとご)・榛沢六郎成清の名と併記されており、近常と成清が重忠に信頼された側近であったことがわかる。
平家との戦いでは、一の谷の戦いに参加した際、平清盛の孫・平師盛を討ち取っている。
畠山重忠が北条氏の謀略によって二俣川(現在の神奈川県横浜市旭区)で討死した際も近常はともに戦い、重忠の死を知って自害した。
現在、深谷市本田の地には、本田氏の館と伝わる埼玉県選定重要遺跡「本田城跡」が残されている。
埼玉県選定重要遺跡「本田城跡」について
更新日:2023年03月27日